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石川県野々市市 
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手取川は、ときには洪水(こうずい)をもたらし石川平野に住む人々を苦しめましたが、その水は人々の長年の努力(どりょく)協力(きょうりょく)で用水となって田畑をうるおしています。
野々市市内には、富樫(とがし)用水、(ごう)用水が流れ、市で一番大きな川である高橋川は富樫用水の支流(しりゅう)です。この用水は、ほかの5つの用水とともに七ヶ(しちか)用水とよばれ、22町(白山市、金沢市、川北町、野々市市)の人々の生活をささえてきました。昔から、村々に引かれて、よごれ物を(あら)うことやすてることが(きん)じられ、飲み水としての美しさをまもってきたと言われています。
また、江戸(えど)時代(じだい)の終わりから明治(めいじ)時代(じだい)初めの七ヶ用水取り入れ口の工事で有名な(えだ)権兵衛(ごんべい)は、農業用水だけでなく米や石灰(せっかい)(かわ)(ぶね)で運ぶことも考えていたそうです。
市内を流れる七ヶ(しちか)用水(ようすい)
市内を流れる七ヶ用水

田をうるおす富樫用水(富陽小学校近く)

田をうるおす富樫用水(富陽小学校近く)

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この水と平らで豊かな土地が、昔から農業をさかんにさせたんだね!
 
自然のめぐみだけでなく、農業の学習や研究が野々市市内では積極的(せっきょくてき)に行われてきました。明治時代の中ごろから(きゅう)野々市村や旧(とみ)(おく)村には農業補習(ほしゅう)学校があり、当時の小学校を終えた子どもたちがそこで3年間農業の勉強をしました。昭和37年(1962年)から昭和62年(1989年)まで、中林(なかばやし)には石川県農業試験場(しけんじょう)があり、さまざまな研究や開発がされてきました。また、昭和46年(1971年)には末松(すえまつ)に石川県立農業短期(たんき)大学が置かれ、平成17年(2005年)には4年制の石川県立大学になるなど、今も県内の農業研究の中心地として、大学だけでなく、農家の人々もいろいろな作物や(とく)産品(さんひん)づくりに取り組んでいます。
米づくりが終わった田で、「はくさい」「だいこん」「かぶ」などを作り、県外にも出荷(しゅっか)されています。特に、「かぶ」は昔からの農家の(わざ)を生かした「かぶら寿()し」となり、冬の野々市の名物(めいぶつ)になっています。また、米があまってきたことから、キウイフルーツなどのくだものや花を作る農家もでてきました。最近(さいきん)では、キウイフルーツを能登(のと)町でワインにしたり、酒用の米と町の花木(かぼく)であるツバキの酵母(こうぼ)を使った日本酒もつくられました。

かぶ

かぶらずし
花キウイ

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ichi椿
かぶ畑とかぶら寿しビニルハウスで
さいばいされる花
実ったキウイフルーツ
とワイン
新しい特産品
日本酒「ichi(いち)椿(つばき)

関連リンク
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