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歴史・史跡

ページ番号:0003821 印刷用ページを表示する 更新日:2018年12月25日更新 <外部リンク>

この市の歴史の特徴は、今も人々の「生活」の中に息づいているということです。あるものは人々の集う公園となっていたり、さらにまたあるものは今も住居として使われていたり。さりげなく市の中に溶け込み人々に親しまれる、歴史的遺産の数々。野々市の歴史はあくまで自然体を保っています。

御経塚遺跡

おきょうづかいせき

御経塚遺跡の画像1

白山から豊かな涌き水が、古代から人をはぐくんできました。先人たちの夢やぬくもりが今日も生き続けています。野々市市の北部、御経塚町にある国指定史跡御経塚遺跡は縄文時代の後期中ごろから弥生時代初頭、今から3,700年から2,500年前の大集落です。縄文時代は、12,000年前ころに土器の出現とともに始まりました。この時代の縄文人は、四角くエラの張った彫りの深い顔立ちで男性は背丈155センチくらい、寿命は35歳前後だったようです。土器のピアスやネックレスに幾何学紋様の編み布の衣服を身につけるなどかなりオシャレでもありました。

住居は、竪穴式ワンルームで5、6人が住み10戸ぐらいの集落の中央に共同の祭祀・集会の広場があったようです。当時の食べ物は、主食にクリ・トチ・ドングリなどのパン、副食にシカ・イノシシ・魚介類を食べていたようです。このような縄文時代の人々の生活が1,000年以上も続いていた御経塚。遺跡に復元された、竪穴住居は古代のロマンを今に伝えます。

御経塚遺跡の画像2

問い合わせ先

文化課
電話番号:(076)227-6122
メールアドレス:bunka@city.nonoichi.lg.jp

ふるさと歴史館

ふるさとれきしかん
ふるさと歴史館

平成4年4月に、文化財の展示と整理・収蔵・調査機能を合わせもつ施設として開館しました。展示室には御経塚シンデン遺跡古墳群や末松廃寺など弥生時代から近世まで時代ごとの出土品や模型などを図説パネルで分かりやすく説明しています。また、縄文時代の大集落跡の御経塚遺跡が隣接していて、ここから出土した遺物は平成21年重要文化財に指定され、一部公開展示しています。
過ぎ去った時代、それぞれの季節で人は何を見て、何を聞き何を感じたのでしょう。長き年月を経て、先人たちがはぐくんだ歴史と文化に市の確かな明日が見えます。

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文化課
電話番号:(076)227-6122
メールアドレス:bunka@city.nonoichi.lg.jp

喜多家住宅

きたけじゅうたく
喜多家住宅
喜多家住宅 灰型

重要文化財、喜多家は加賀の典型的な町屋造りを今に伝えます。いつのころからか、囲炉裏ばたに描かれた灰型。北陸の風土に培われた文化と茶の心が静かにいきずいています。
喜多家はもとは高崎姓を名乗った越前武士で江戸中期以降に野々市で油屋を、その後造り酒屋となり、昭和46年まで営んでいました。通りに面した外観は、細い縦格子や二階の妻にみられる腕木に支えられた袖壁など、加賀の町屋の典型的なものであり建物自体も上質で、石川県に遺存する町屋の中では年代も古い貴重なものです。

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文化課
電話番号:(076)227-6122
メールアドレス:bunka@city.nonoichi.lg.jp

富樫館跡・和鏡

とがしやかたあと・わきょう
富樫館跡
和鏡

富樫氏は鎌倉時代終わりから急速に成長していった武士団で、建武2年(1335年)高家が加賀国の守護となってから以後、氏春、昌家、泰高、政親など代々にわたって守護となっています。富樫館は富樫代々の居館跡でまた守護所として当時の加賀国の政治経済文化の中心地となったところです。現在では、館跡を示す石碑のみが当時をしのばせます。平成6年4月からの発掘調査により館跡を囲った堀の一部が確認され、さらに堀の中から亀と鳥が描かれ周りを樹木の葉で飾った「和鏡」が、当時のまま完全な形で出土しました。

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文化課
電話番号:(076)227-6122
メールアドレス:bunka@city.nonoichi.lg.jp

水毛生家住宅 ※個人の住宅のため、通常は一般公開しておりません。

みもうけじゅうたく
水毛生家住宅
水毛生家住宅 庭の画像1

水毛生家は北国街道沿いにある旧家で、表構えは切妻妻入(きりづまつまいり)の農家型ですが、内部の間取は町屋となる県内ではみられない構成の住宅です。
通りに面するミセノ間の屋根には石を置いた板葺き屋根の勾配がみられ、江戸時代末期以前の構造を残しています。明治時代前期に改築された可夕亭(かせきてい)、上ノ四畳半、下ノ間などは京風に洗練された数寄屋風の造りとなっていて、東に突き出した8畳の茶室は大正時代に改築したもので、自由にくだけた趣向の書院風の茶室となっています。

庭園には、のびのびと育った多くの樹木が植えられ、庭全体を覆う厚い苔とあいまって、旧家らしい重厚な構成になっています。庭園の一角には枯れた大杉があり、1616年(元和2)加賀藩主前田利常が休息したとき、この杉に馬をつないだと伝えられています。

水毛生家住宅 庭の画像2

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文化課
電話番号:(076)227-6122
メールアドレス:bunka@city.nonoichi.lg.jp

末松廃寺跡

すえまつはいじあと
末松廃寺跡

末松廃寺は今から1,300年前に建立(こんりゅう)された北陸最古の寺院です。1937年(昭和12)に塔心礎や金堂跡の調査が行われ、1939年に国の指定史跡となりました。伽藍配置は法起寺式で、金堂の規模は東西19.8m、南北18.4mと飛鳥・白鳳時代においては一般的大きさですが、塔の基礎部分は一辺が10.8mと非常に大きく七重塔と推定されています。この巨大な寺院を建立したのは、北加賀を中心に一帯を支配した「道の君(みちのきみ)」一族という説や、南加賀の豪族であった「財部造(たからべのみやつこ)」などの説があります。
1961年(昭和36)には金堂脇の水路で和同開珎銀銭が発見されました。和同開珎は日本で最初の流通貨幣と言われ、特に銀銭は708年8月から翌年の8月までという短い鋳造期間のため貴重なものです。この発見が契機となり、史跡の公園化に向けた本格的な調査の実施が望まれるようになり、1971年(昭和46)に全国で3番目の史跡公園として整備されました
ふるさと歴史館には、末松廃寺の調査をもとに復元された模型があり当時の壮大な様子をうかがい知ることができます。

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文化課
電話番号:(076)227-6122
メールアドレス:bunka@city.nonoichi.lg.jp

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