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古代の北陸道

ページ番号:0002706 印刷用ページを表示する 更新日:2018年12月25日更新 <外部リンク>

奈良・平安時代の国道

2003年[平成15]に三日市A遺跡で、今から1,300から800年ほど前の奈良・平安時代に使われていた道路が発見されました。この道路は、幅が8mもあり、両側には、現在の道路と同じように雨の水などを流すためにつくられた側溝も見つかっています。

この頃、都だった奈良や京都との連絡や、納税のために大きな道路がつくられて、多くの人や物が往来していました。

国は、地方を治めるために地域をいくつかに分けていました。これらの地域を「道(どう)」と呼びました。北陸道の範囲は、現在の福井県、石川県、富山県、新潟県です。この地域をつないだ大きな道路も北陸道と呼ばれていました。このほかの区域には、畿内(きない)[都の周辺]、東海道(とうかいどう)、東山道(とうさんどう)、山陰道(さんいんどう)、山陽道(さんようどう)、南海道(なんかいどう)、西海道(さいかいどう)がありました。

なお「道」は、中国にならった名称です。

 

三日市で発見された北陸道の画像

三日市で発見された北陸道

 

野々市市域で交錯する河川と北陸道の画像

野々市市域で交錯する河川と北陸道

 

北陸道のルートの画像

北陸道のルート

 

古代の行政区画の画像

古代の行政区画(ぎょうせいくかく)

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