先月、帰省の折に野々市市郷土資料館”N o N o”を訪ねた。同館は本町四丁目(本町通り)にあった「旧魚住家住宅」(1973年まで青果、雑貨店として営業。屋号“ようや”)が、1975(昭和50)年に白山町に移築され、老人の集いの家「椿荘」、その後1982(昭和57)年に郷土資料館として活用され、1994(平成6)年に現在の本町三丁目に移築された。昨年4月に「人の流れの復活」を目指す拠点として民間事業者に管理委託されたことは以前のコラムで紹介した。
民間に管理委託されて1年が経つので、どのように変わったのか、と思い訪れた。入口を入ったところの広間“ミセノマ”には、以前からのカフェに加え市民や来館者がお酒を飲み、蕎麦を愉しむことができるようにテーブルが並べられていた。
“トオリニワ”を抜け2階に上がると、展示室には野々市市本町出身の木彫家 瀬戸栄子さんの作品展が開かれていた(1936年生まれの瀬戸さんは現在もお元気で活動されている)。また、会場には瀬戸さんの生家である履物商の関係資料も併設展示されていた。
館内を一巡してから、1階ミセノマの“のの蕎麦CAFE”で地酒を傾け蕎麦をいただくつもりであったが、食事の注文は午後3時30分で終了ということで、一巡する前にお願いしておいた。地酒のセットにはフキノトウ味噌が添えられた豆腐がついており、春を感じながら地酒の吟醸酒で一杯。後に出てくる山菜蕎麦セット(小ぶりの軽く焼いたおにぎり付)で少し遅い昼食を取り、暫し木虫籠(キムシコ=格子)を通して人の流れを眺め、ゆったりと午後の一時を過ごした。
民間に管理委託後、PR不足でまだ来館者が少ないようであるが、従来の「資料展示の場」に加え「人が集う交流の場」として一層にぎわうことを期待したい。
資料館の向かいには駐車場も用意されているので、会員のみなさまも帰省の折には一度立ち寄られてみては如何でしょうか。地酒も蕎麦もいい味でした。
(2024年5月7日 嶋田良夫記)
4月16日(火曜日)、母校主催の“狂言の夕べ”を鑑賞した。今回の公演は“末広かり”と“六地蔵”の演目であったが、野村万作、萬斎、裕基の親子三代で演じられた“末広かり”からは室町時代から引き継がれた伝統芸能の凄さを感じた。
野村万作さんは人間国宝で昨年文化勲章を受章されたが、92歳になる自身が79歳で亡くなった父・万蔵の芸の域に達していないと言われる。今もなおカクシャクとして日々研鑽されている姿に感銘を受けた。
万作さんは公演に入る前の挨拶の中で、狂言は、一に「美しさ」、二に「面白さ」、三に「おかしさ」の順で、その中でも第一に大切なものは「美しさ」であり、美しい風姿や声が土台にあると話された。狂言の道の奥深さが感じられた。
今回の演目の一つである野村三代で演じられた狂言“末広かり”(すえひろがり)は、果報者が来客に末広かり(扇)を贈ろうと、太郎冠者に命じて都へ買いに行かせる。ところが末広かりが何のことか知らない太郎冠者は、声を掛けてきた男の巧みな言葉に、古傘を末広かりと信じ込んでしまう。大喜びで古傘を買い求めた太郎冠者は早速屋敷に持ち帰ると、果報者に見せるのだが、これは何だといわれる。果報者が勿体付けて「扇」と言わず「末広かり」と言ったのがミソであるが、野村三代の演技から狂言の「美しさ」「面白さ」「おかしさ」を十分堪能することができた。
(2024年5月7日 嶋田良夫記)
3月は2月に比べ気温が低く、待ちに待ったサクラが漸く咲き始めました。
さて、昨年の“小石川植物園自然観察会”に続き、今年もアウトドア活動として以下のとおり“六義園散策の会”を実施する予定です。是非ご参加ください。
六義園は造園当時から小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられ、1695(元禄8)年、五代将軍・徳川綱吉より下屋敷として与えられた駒込の地に、柳澤吉保自らが設計、指揮し、「回遊式築山泉水庭園」として造られました(六義園HPより抜粋)。
同園は都内の近場にありいつでも行けると思っていましたが、昨年初めて母校OB会ウォーキングサークルで行ってきました。正門を入り暫く歩くと見事な庭園が一望でき、園内吹上茶屋でのお茶と練りきりはなかなか美味しくオツなものでした。
<六義園散策の会概要>
〇日 程:2024年5月18日(土曜日)午前11時
〇集合場所:JR山手線 駒込駅南口
〇そ の 他:1時間程度 散策後、近くの鮮魚店で昼食をとりながら情報交換。
~追って、事務局から詳細ご案内いたします~
(2024年4月1日 嶋田良夫記)
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