昭和の戦争と人々の生活
1931年[昭和6]の満州事変から、1945年[昭和20]の太平洋戦争の終戦までの15年間は、戦争が続いた暗い時代でした。昭和に入ると世界中が不景気になり、日本でも人々の生活は苦しいものとなりました。このようなとき、一部の軍人や政治家は、広い土地と豊かな資源がある満州[中国の東北部]を日本のものにすれば、国民の生活が良くなると主張し、このような考えが国民にも広まり戦争の時代が始まったのでした。
1937年[昭和12]には日中戦争(にっちゅうせんそう)が始まり、戦争は中国各地に広まりました。この中国との戦争に行きづまっていた日本は、ドイツ・イタリアと軍事同盟を結び、石油などの資源を求めて東南アジアに軍隊を送りました。アメリカやイギリスなどの連合国と対立が深まり、1941年[昭和16]には太平洋戦争が始まりました。
戦争を続けていくために、政府は、兵器を作る工場に国民を動員(どういん)できるようにし、砂糖やマッチ、味噌(みそ)、醤油(しょうゆ)などの生活用品まで制限しました。「贅沢(ぜいたく)は敵(てき)だ」という標語(ひょうご)も生まれ、生活は少しずつ苦しくなっていきました。
国民は苦しい生活をがまんしていましたが、戦争の状況はだんだん悪くなり、野々市の戦死者数(せんししゃすう)も1943年[昭和18]には13人だったのが、1944年[昭和19]には63人、1945年[昭和20]には107人と増えていきました。全国の多くの都市に対する空襲(くうしゅう)も多くなり、やがて終戦を迎えることになりました。
金沢駅から出征(しゅっせい)する兵士を見送る人びと
道路補修の勤労作業を行う富奥尋常高等小学校の生徒(1939年・昭和14)