町家と農家
町家と農家
江戸時代は、北国街道(ほっこくかいどう)が通る野々市村[本町地区(ほんまちちく)]だけが宿場町(しゅくばまち)で、他の村は農村でした。宿場町では、街道に沿(そ)って家が建(た)ち並(なら)んで、農村は、農家(のうか)がひとかたまりになっていました。今でも、木々に包(つつ)まれ、緑が多いところが昔の集落(しゅうらく)です。
町家(まちや)と農家では家の形も違います。多くが店になっていた町家は平入(ひらい)り[正面からは横長に屋根が見える]の2階建てで、農家は妻入(つまい)り[正面からは屋根の三角形の部分が見える]で1階建てです。
家の中は、部屋の並び方も大きく違います。町家は玄関(げんかん)から家の奥まで細長い土間(どま)[通りニワ]が続いて、これに面して部屋が並びます。農家は家に入ると土間のニワがあり、その次にオエという広い部屋、そして田の字の形に部屋が続いています。
本町地区では、町家、町家風(まちやふう)農家、農家の3種類の家がみられます。このなかの町家風農家は、町家と農家を合わせた形の家で、見た目は町家ですが、家の中は農家の間取(まど)りになっています。本町地区は、もともと農家が立ち並んでいましたが、宿場町として商業が発達してくると、町家の形の家が増えていったものと考えられています。
町家
重要文化財 喜多家住宅
喜多家の間取り
町家風農家
野々市市郷土資料館(旧魚住家住宅)
旧魚住家の間取り
押野に残る農家
農家の基本的な間取り