徹通義介と大乗寺
徹通義介は越前国[今の福井県]に1219年(承久元)に生まれ、14歳の時に出家して、京都の延暦寺で仏教の教えをうけました。
そして、道元[京都の僧で、曹洞宗の開祖]の教えを受け、永平寺の住職となりました。
押野荘(おしののしょう)[野々市市押野周辺]を領地にしていた富樫家尚(とがしいえひさ)は、徹通義介を領地内の大乗寺に住職として招いて、1293年[正応6]に加賀の国で初めて禅宗(ぜんしゅう)のお寺を開きました。
徹通義介は、大乗寺の住職を6年間つとめたあとに引退して、1309年[延慶2]に91歳で亡くなりました。葬儀(そうぎ)は大乗寺でおこなわれてから、太平寺で火葬(かそう)され、その場所に立てた石碑(せきひ)は、太平寺1丁目交差点のポケットパークにある石のお堂に、大切におさめられています。
押野3丁目から本町1丁目あたりにあった大乗寺は、1580年[天正8]に加賀の一向一揆(いっこういっき)と織田信長(おだのぶなが)がはげしく争ったときに、火災で焼けてしまいました。お寺の場所は変わりましたが、700年の歴史のある大乗寺は、いまも金沢市長坂(ながさか)町で続いています。
太平寺1丁目交差点のポケットパークにある石のお堂におさめられた石碑
1871年[明治4]の地図
本町1丁目~横宮あたりに大乗寺跡と書かれています。