田んぼの下から見つかった古墳 御経塚シンデン古墳群
田んぼの下から見つかった古墳
御経塚2丁目のシンデンと呼ばれる場所の田んぼの下を発掘調査した時に、古墳時代はじめ[300年頃]の首長(しゅちょう)[今でいう県知事・市長]の墓4基と家族の墓11基が見つかりました。
米づくりがさかんになると人口が増え、田んぼを増やすために新しい土地が必要になったことで、ムラどうしの争いが起こるようになりました。争いに勝ち残った強いムラのリーダーは、首長となってまわりのムラを治めました。
争いの勝ち負けによって身分の差が生まれて、力の一番強い首長は、力の大きさをあらわすために墓としての古墳をつくりはじめました。
上空から見た古墳
土を盛った墳丘(ふんきゅう)はこわされ、首長を埋葬(まいそう)したところはわかりませんでした。まわりの溝の形から前方後方墳(ぜんぽうこうえんふん)であることがわかりました。
シンデン古墳群の想像図