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日本で最初の耕地整理

ページ番号:0002714 印刷用ページを表示する 更新日:2018年12月25日更新 <外部リンク>

加賀藩の武士であった杉江秀直(すぎえひでなお)は、明治の新しい時代に日本が発展するためには、農業が盛んになることが必要であると考え、西洋の農業技術を学ぶために東京の学校に行きました。

1876[明治9]年に帰ってきた秀直は、現在の住吉(すみよし)町から本町(ほんまち)2丁目にかけての土地に、農業の指導や農具の改良を行う農事社(のうじしゃ)をつくりました。

この頃の田んぼは、1枚あたりの面積が小さくて、形も整っていませんでした。秀直は、小さな田んぼを集めて形を整え大きな田んぼにすれば、田んぼの境(さかい)のあぜや農道は少なくてすみ、耕作する面積が増えて農作業もしやすくなると考え、日本最初の田んぼの耕地整理である田区改正(でんくかいせい)を行いました。実施する前に2町(ちょう)5反(たん)8畝(せい)3歩(ぶ)[7,743坪(つぼ)=25,597平方メートル]であった耕地面積は、実施した後には2町7反8畝6歩[8,346坪=27,590平方メートル]になり、2反3歩[603坪=1,993平方メートル]も増えました。

田区改正の成功によって、上安原(かみやすはら)村[現在の金沢市上安原]では村全体の耕地整理が行われて、耕地整理は全国に広まっていきました。

※尺貫法(しゃっかんほう)の土地面積
1町=10反[3,000歩]、1反=10畝[300歩]、1畝=30歩、1歩=1坪[3.3平方メートル]

杉江秀直の画像

杉江秀直

住吉町にある農事社跡の石碑(せきひ)の画像

住吉町にある農事社跡の石碑(せきひ)

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