白鳳時代の大寺院 末松廃寺
末松廃寺は、今から約1350年前の白鳳時代に建てられた古い寺院です。この末松にあった寺院は現存せず、名称も不明なことから「末松廃寺」と呼ばれています。
末松ではむかしから、「カラト石」と呼ばれる大きな石が田んぼの中にあり、まわりから瓦や土器などが多く出土しており、江戸時代から寺院跡(あと)であることがわかっていました。「カラト石」は、塔の中心にある心柱(しんばしら)を支えた石で、とても大きいことから、塔は七重塔(ななじゅうのとう)と考えられています。
末松廃寺を建てた豪族(ごうぞく)は、加賀地域の北側を治めていた「道君(みちのきみ)」とされていますが、末松廃寺の瓦は、現在の能美市で作られていたことなどから、この地域の「財部造(たからべのみやつこ)」という豪族も加わっていたことが考えられています。
この時代のお寺は、今のように誰でもおまいりにいけるようなところではなく、このお寺を建てた力のある豪族の人々だけがおまいりできるところでした。
非常に重要な遺跡(いせき)であるため、遺跡の場所は1937年[昭和12]に国の史跡(しせき)となり、現在は、「カラト石」が見学できる桜のきれいな公園になっています。
※白鳳時代は大化の改新[645年]から都(みやこ)が奈良(なら)にうつるまで[710年]の間のことで飛鳥(あすか)時代に含まれます。
末松廃寺の復元模型(ふくげんもけい)
北からみた末松廃寺です。七重塔の高さは56mほどと推定されています。
軒先の瓦
ハスの花をかたどった文様(もんよう)です。