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富樫館の発掘

ページ番号:0002790 印刷用ページを表示する 更新日:2018年12月25日更新 <外部リンク>

加賀の国の軍事や政治の仕事をする守護(しゅご)になった富樫氏(とがしし)は、野々市に館(やかた)を建て、そこを守護所(しゅごしょ)[政治を行う場所、今の県庁]として加賀を治めていました。

1994年[平成6]に行われた住吉(すみよし)町の発掘調査で、大きな堀の一部が見つかり、堀の中から室町時代の皿や茶碗、直径5cmの銅製の鏡が出土しました。
堀の断面形はV字形をしていて、幅は上が6から7m、下が1m、深さは2.5mもありました。

武士の館の周りには、敵をふせぐために、深い堀と土を盛った土塁(どるい)が必ず築かれていました。見つかった堀の場所が、江戸時代にかかれた富樫館の絵図の西側にあたる土塁の場所と一致したので、この堀は館の西側の堀であることがわかりました。

また、館の敷地は一辺が約109mの正方形で、東側には9艘(そう)の船が並ぶほどの川幅があったことから名前がついた、九艘川(くそうがわ)が流れていたこともわかりました。九艘川からは、伏見(ふしみ)川、犀(さい)川をへて日本海に通じることができるので、船を使った交通のための大切な川の道でした。

発掘された堀跡の画像

発掘された堀跡です。右側に土塁が盛られていました。

堀からみつかった鏡の画像

堀からみつかった鏡です。真ん中に亀、その上には二羽の鳥の模様があります。

江戸時代に描かれた富樫館跡絵図の画像

江戸時代に描かれた富樫館跡絵図(野々市小史)です。

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