弥生時代のムラ 押野タチナカ遺跡
いまから2,500年前頃に、米づくりを中心とする文化をもつ人たちが、館野(たちの)小学校近くのタチナカと呼ばれる場所にムラをつくりました。
1,800年前頃になると、米づくりの技術が進歩してより多くのお米がとれるようになりました。食料を心配することも少なくなり、人口も増えて、まわりに新しいムラがつくられていきました。
この頃のムラは、人々がいっしょに作業したり集会をした大きな竪穴建物(たてあなたてもの)1棟(とう)と、竪穴住居3,4棟、食物などをためておく倉庫が2棟ほどでかたちづくられていました。このような弥生時代のムラが、押野(おしの)から二日市町にかけていくつも発見されています。
イネのとりいれ
住居から発見された西暦200年頃の弥生土器