力をつけた武士の一族
1,000年前頃から武芸を専門にする武士が力をもつようになってきました。加賀の国[今の石川県の加賀地方]でも、武器をもって土地を守る武士がみられるようになりました。
加賀の国で大きな武士の集団をつくった林氏(はやしし)は、拝師郷(はやしごう)[野々市市南部~白山市]を開墾(かいこん)して領地としたことから林という名字を名のりました。同じ一族の富樫氏(とがしし)は、富樫郷(とがしごう)[野々市市東部~金沢市]を開墾して、富樫の名字を名のり領地としました。
林氏の本家は、天皇と鎌倉幕府が戦い、鎌倉幕府が勝った承久(じょうきゅう)の乱[1221年(承久3)]では、天皇に味方をしたことから敗れてしまい、代わって富樫氏が武士の集団をまとめるようになりました。
林氏と富樫氏は、平氏と源氏の戦い[1180~1185年]の時、源義仲(みなもとのよしなか)に従って京都(きょうと)にのぼりましたが、源義経(みなもとのよしつね)に敗れてしまいました。このため、林氏と富樫氏は京都から戻ってきたという話が伝わっています。
富樫家国像(文化会館フォルテ)
古代の郷推定分布図
林光家・加藤成家の系図
(『尊卑文脈』(そんぴぶんみゃく)時長孫 より)