じょんから
野々市市には、市指定(ししてい)無形民俗文化財(むけいみんぞくぶんかざい)の野々市じょんからをはじめ、御経塚(おきょうづか)じょんがら、郷(ごう)じょんから、富奥(とみおく)じょんからが伝わっています。現在は、毎年7月末から8月のはじめに開催(かいさい)される「野々市じょんからまつり」に多くの市民が参加(さんか)して野々市じょんからを踊(おど)りますが、以前は、各地区でお盆の8月14・15日にじょんからを踊っていました。
野々市じょんからの由来(ゆらい)には、室町(むろまち)時代頃から住吉宮(すみよしのみや)[布市神社(ぬのいちじんじゃ)の前身]で踊られていた御贄踊(おにえおど)り(※1)がもとになったという説や、江戸時代の浄瑠璃(じょうるり)などのくどきぶしがもとになったという説があります。御経塚じょんがらは、江戸時代から踊られていたものと伝えられていますが、由来は不明です。踊りの動作は農作業をあらわし、大きな動きや男性のケンタイ(※2)が特色です。
郷じょんからは、1947年[昭和22]頃に郷村全体で盆踊りを行うために、横江(よこえ)[白山市]のじょんからをもとにして作られました。女性は赤いタスキに腰巻姿(こしまきすがた)、男性は前にケンタイをつけて踊ります。
富奥じょんからは、歌詞や囃子(はやし)は昔のままで、踊りは1935年[昭和10]頃に粟田(あわだ)と上林の踊りを合わせて作られました。田の草取りや稲刈りのしぐさが、踊りに取り入れられているようです。
じょんからの起こりについては、よくわかっていませんが、はじめに地名をつけて、○○じょんからという呼び方は、県内にも多く全国に広がっています。
※1 御贄 穀物以外の食べ物を貢(みつ)ぐこと
※2 ケンタイ 仏様や神様に祈(いの)る時、肩にかける赤い帯のこと
野々市じょんから
御経塚じょんがら
郷じょんから
富奥じょんから