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令和4年度以前の【東京野々市会】会員コラム

ページ番号:0030045印刷用ページを表示する更新日:2023年8月17日更新 <外部リンク>

過去の会員コラム 

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2022(令和4)年度
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2020(令和2)年度
2019(令和元)年度 

2022(令和4)年度

17.コロナ禍を生きる                                                ~アウトドア活動プラン“小石川植物園自然観察会”実施予定!~

ジンチョウゲ、ツバキ、菜の花、サクラなど春を告げる花々が咲き誇り、うららかな陽気となりました。新型コロナが発生してから4年目に入り、幸いこのところ感染状況は漸く下火となって、社会の流れは“Withコロナ”のステージに移行してきました。しかし、新型コロナはなくなった訳ではなく、今後も感染が拡大するリスクはあると思われます。

東京野々市会ではコロナ禍で殆どのリアル活動が中止や延期となりましたが、比較的感染状況が落ち着いている現在、この間隙を縫って、感染リスクを考慮のうえ、以下のとおりアウトドア活動を実施することとしました。

野外活動は今回初めての企画ですが、都心でありながら自然が残る“小石川植物園”を散策し、自然観察を行う予定です。新緑の時期に、園内のモクレン、ナツロウバイ、シャクヤク、ツツジなどを観察しながら、会員相互の親睦を図りたく、会員のみなさまの多数のご参加をお待ちしています。なお、実施のご案内は追って郵送いたします。

<アウトドア活動プラン~小石川植物園自然観察会~>

1 時 期:2023年5月13日(土曜日)午前11時 ・・・<雨天中止>

東京メトロ丸ノ内線 茗荷谷駅 改札口集合

2 行き先:小石川植物園

茗荷谷駅から徒歩15分

3 内 容:園内1時間程度散策、園内もしくは園外で昼食。

4 会 費:入園料500円+昼食代

(2023年4月3日 嶋田良夫記)

コラム写真4コラム写真3コラム写真1コラム写真2

16.コロナ禍を生きる                                           ~“ののいち幻の日本酒「猩々」フェア~復活記念イベント~”大盛況!~

本日(2023年3月11日)、石川県アンテナショップ いしかわ百万石物語・江戸本店にて“ののいち幻の日本酒「猩々」フェア~復活記念イベント~”が開催されるとあって、午前10時30分のオープンを目がけて店に入った。先に一人の東京野々市会会員の方も来られていて、既に買い物カゴには野々市の特産品が満載!――ほか複数の会員からも「イベントに行って、いろいろ特産品をゲットした!」とメールがあった。

入店後そうこうしている内に、入口の一番目立つところにある、野々市特産品コーナーが来店客で賑わいはじめ、「猩々」、「猩々おりがらみ」、野々市ヤーコン焼酎「うまいがいね」、キウイフルーツワイン、I(あい)パウンド等を次々と試飲・試食して購入する姿がみられた。

私も試飲・試食し、子どもたちへのお土産として、お酒、パウンド、猩々の酒かす塩を買い求めた。今夜、子どもたちの間で、これらを食しながら野々市が話題になれば、僅かではあるが野々市のPRになるだろう。

店を出て運動がてら東京駅まで一駅歩き駅地下街に入ったところ、凄い人込みに出くわし、改めて“With コロナ”を実感した。そろそろウイルスもなりを潜め日常が戻ることを期待したい。

フェア写真1フェア写真2フェア写真3

(2023年3月11日 嶋田良夫記)

15.コロナ禍を生きる                                                  ~シニア割で上手に節約~

新型コロナ発生前は高速バスにて辺りの風景を見ながらゆったりと帰省していたが、コロナ後は感染リスクを避けるため北陸新幹線を利用している。

帰省の頻度が高いので、交通費節約のためJR 東日本が提供する、インターネット上で指定券を予約できるウエブサイト“えきねっと”「トクだ値30%OFF」きっぷ(30%割引)を利用してきた。しかし、最近は感染者数の減少傾向に伴い金沢行きの観光客が戻りつつあるのか、なかなか「トクだ値」きっぷの予約が取りづらい状況にある。ほぼ毎月のように利用するため30%の割引はかなりお得感があり、インターネットで予約をするため駅まで出向いて切符を購入する手間がかからない。そのうえ最寄り駅から電子チケットが登録された交通系ICカードでそのまま乗車できるので重宝していた。

このような状況下、業を煮やして、JR東日本・北海道と全国のJR線のきっぷが最大30%の割引が受けられる制度の、JR東日本の「大人の休日倶楽部ジパング」(対象:男性65歳以上、女性60歳以上)に入会した。

数日後、「大人の休日倶楽部ジパング」会員カード兼クレジットカードが届き、さらに後日「ジパング倶楽部」会員手帳(JR乗車券購入証)」が送られてきた。いよいよ予約しようと「大人の休日倶楽部カード」利用ガイドを読むと、30%の割引条件はJR東日本線・JR北海道線を営業キロ片道・往復・連続201キロ以上であれば何回でも利用可能と書かれている。しかし、北陸新幹線で金沢駅までインターネットで予約する場合、首都圏から上越妙高駅までがJR 東日本線エリアなので30%の割引対象であるが、上越妙高駅から金沢駅までがJR西日本線エリアにつき「大人の休日倶楽部ジパング」の割引対象外となるため、全行程を通すと10%の割引にしかならない。さらに、電子チケット機能がないため乗車前に駅の発券機で紙の切符を受け取る必要がある。

30%の割引を謳いながら話が違うと思い、一方の「ジパング倶楽部」ガイドブックを見たところ、こちらはインターネットでの予約はできないが、駅窓口で購入することにより「ジパング倶楽部」の新規加入時は年間20回20%~30%、2年目以降は年間20回30%の割引が受けられると書かれている。

この2つの制度、「大人の休日倶楽部ジパング」と「ジパング倶楽部」の関係がどうも腑に落ちずインターネットでいろいろ調べたところ、JR東日本の「大人の休日倶楽部ジパング」はサービスエリア以外で割引が受けられないので、JRグループのシニア対象会員制度「ジパング倶楽部」を利用して30%の割引が受けられることが分かった。この2つの“トリセツ”を繋げて読み解くのに随分手間取ったが、年会費4,364円を払っても割引分で十分元が取れそうである。さあ、これからシニア割引を上手に使おう!♫

(2023年3月6日 嶋田良夫記)

14.コロナ禍を生きる                                                                             ~“冬の観能の夕べ”に期待~

1月28日(土曜日)、石川県立能楽堂にて“冬の観能の夕べ”を鑑賞する予定であったが、この冬一番の大寒波襲来で帰省を見合わせたため、やむなく次回に持越しとなった。

恒例の“冬の観能の夕べ”は、今年も1月21日(土曜日)~3月25日(土曜日)にかけて5回の公演予定である。各回の公演は能、狂言、仕舞各一番で構成されており、一度は鑑賞したいと思っていた初心者の私にはお勧めのようである。

時の将軍 徳川綱吉が「能狂」として知られ大名に舞うことを強制していたこともあり、五代加賀藩主 前田綱紀以降、歴代藩主が武家の式楽として能を愛好し奨励したといわれている。外様大名であった前田家は徳川幕府に対して謀反の意のないことのポーズとして「文治政策」をとったため、工芸・芸能が発展した。また、一説には、前田綱紀の「綱」は徳川綱吉の「綱」からとったとも。

当時の加賀における能楽の盛況ぶりは、加賀細工所の細工者たちに能が兼芸として義務づけられていたことや、木職人や屋根職人が仕事をしながら謡をうたっている(「頭上から能が聞こえてくる」といわれている)ところから窺がわれる(長山直治『加賀藩を考える-藩主・海運・金沢町』)。

そう言われてみると、幼い頃、建前(棟上げ式)の時に大工さんが謡をうたっていた光景や、50年前の結婚式で「はなむけ」に謡の“高砂”が「高砂や この浦舟に 帆を上げて・・・」と、とうとうと謳われたのを思い出した。今や謡は「能」の席でしか聞かれることがなくなったのが残念である。

冬の観能の夕べ

(2023年2月1日 嶋田良夫記)

13.首都圏でのイベントに参加しませんか?                                          ~いしかわ関連のイベント情報~

2023年1月~3月の、首都圏で開催予定の石川県関連イベント情報をご案内します。

感染状況が拡大傾向にありますので、感染予防対策万全のうえお出かけください。

 

<首都圏で開催予定の石川県関連イベント概要>

イベント名

開催予定時期

開催場所

イベント内容

お問い合わせ先

いしかわ百万石フェアin大宮駅

1月11日(水曜日)

~1月15日(日曜日)

JR大宮駅

いしかわ百万石物語・江戸本店の出張販売

石川県経営支援課(076-225-1525)

能登牛PRキャンペーン

1月13日(金曜日)

~1月16日(月曜日)
いしかわ百万石物語・江戸本店 能登牛の試食、販売、能登牛クイズ、アンケート調査

石川県畜産振興・防疫対策課

(076-225-1623)
ふるさと祭り東京2023

1月17日(火曜日)

~1月18日(水曜日)
東京ドーム 世界農業遺産「能登の里山里海」の特産品・加工品の販売 石川県里山振興室(076-225-1648)
のとてまり&能登牛フェア

2月4日(土曜日)

~2月17日(金曜日)
赤坂浅田、加賀屋銀座店など計8店舗 原木しいたけ「のとてまり」と「能登牛」を使用した創作料理の提供 石川県森林管理課(076-225-1646)
いしかわ伝統工芸フェア2023

2月17日(金曜日)

~2月19日(日曜日)
東京国際フォーラム 県内伝統的工芸品全36業種を一堂に集めた見本市 石川県伝統産業合同見本市実行委員会(金沢商工会議所)(076-263-1154)
私のいしかわ暮らし投稿キャンペーン写真展

2月23日(木曜日)

~2月26日(日曜日)
いしかわ百万石物語・江戸本店 2022年7月~11月に実施した「私のいしかわ暮らし投稿キャンペーン」の入賞作品を展示 石川県地域振興課(076-225-1312)
加賀百万石の味と技展

3月16日(木曜日)

~3月22日(水曜日)
東急百貨店たまプラーザ店 物産展 石川県経営支援課(076-225-1525)

オーケストラ・アンサンブル金沢

第39回東京定期公演

3月22日(水曜日)

開場17:45

開演18:30
サントリーホール

広上淳一×OEKワールド爆誕。米元響子を迎えての古典の美。

<演奏曲目>

シューベルト

交響曲 第5番変ロ長調 D485 ほか

オーケストラ・アンサンブル金沢((公財)石川県音楽文化振興事業団)

(076-232-0171)

 いしかわ観光特使事務局資料からの抜粋

 

(2023年1月5日 嶋田良夫記)

12.2023 東京野々市会                                                                  ~会長からのメッセージ~

あけましておめでとうございます。Stay homeから“ウイズコロナ”のステージで新年をお迎えのことと存じます。

新型コロナが発生した3年前と比べれば、社会がコロナに対処する方法を学習したこと、軽症者に対する処方薬が国産で承認・供給されたこと、検査キットが市販化されたこと、ワクチンが潤沢に準備され広がったこと、等からコロナ禍での生活が一変し、気持ちに少し余裕を持てるようになりました。

2022年を振り返りますと、2月24日のロシアによるウクライナ侵攻のニュースに衝撃を受けました。平和だと思っていた現代社会で、一国が他国を侵略するということがまかり通る事実は、とても理解できるものではありませんでした。第2次世界大戦後、西側諸国は北大西洋条約機構(NATO)を結成し、一方で東側諸国はワルシャワ条約機構を結成しましたが、「ベルリンの壁」の崩壊に端を発し、民主化は東側諸国にもおよびワルシャワ条約機構は解散、ソ連も解体しました。今回の侵略の背景の一つには、自国と敵対するNATOの拡大があるとみられていますが、ロシアの指導者の胸の内を知ることはできません。そして、戦闘の長期化により資源価格が高騰し、私たちの社会生活を直撃する結果となっています。

このような暗いニュースとは別に、「『はやぶさ2』砂に生命の源(20種以上のアミノ酸)」 と「マグサイサイ賞(「アジアのノーベル賞」といわれる)『ベトナムの赤ひげ先生』に」の2つの記事が目にとまりました。前者は、生命のもととなる物質(タンパク質の材料となるアミノ酸)が地球以外の宇宙から来たのではないかという仮説を後押しするという(朝日新聞(朝)2022年6月6日付1面)、ロマンをかき立てるものでした。また後者は、眼科医の服部匡志先生が、日ざしの強いベトナム等の東南アジアで多くの貧困層に対し、無償で白内障を治療してきたことが評価されたという(日本経済新聞(朝)2022年9月1日付38面)、心温まるほっこりとしたニュースでした。

さて、東京野々市会はコロナ禍でこれまでリアルの活動に踏み切れませんでしたが、役員のみなさまからのご意見に後押しされ、昨年7月2日(土曜日)に3年ぶりに対面の総会を開催することができました。汗ほとばしる蒸し暑い日でしたが、粟市長、石田石川県人会会長をはじめ9名の会員にお集まりいただき、2時間以上に亘り和やかな時間を持つことができました。

今年は、2月18日(土曜日)に“創立30周年記念の集い”の開催を予定していましたが、現在の感染状況から、まだ「安心して楽しめる」会を開催することが難しいと判断し、2023年11月25日(土曜日)に延期することといたしました。

また、定時総会は、7月1日(土曜日)にJR有楽町駅近くの石川県のアンテナショップ“いしかわ百万石物語 江戸本店”2階にて開催を予定していますので、振ってご参加ください。

長引くコロナ禍ですが、会員のみなさまと「常につながりを持つ」観点から、引き続きホームページやInstagramを活用して情報発信に努めてまいりますので、お気軽に情報をお寄せください。

結びに、4年目に入るコロナ禍の生活が一日も早く収束に向かうことを期待し、今年一年がみなさまにとって、より一層よい年となりますよう祈念いたします。

(2023年1月1日 嶋田良夫記)

11.コロナ禍を生きる                                                          ~“28th BIG APPLE in Nonoichi 2022”開催!~

11月20日(日曜日)、コロナの感染が上昇傾向で気になったが、たまたま帰省中であったので、“28th BIG APPLE  in Nonoichi 2022”を聴きにいった。

今回は3年ぶりに海外からのゲスト出演者を招いての開催となり、前日にはゲストによる市民向けのWorkshopが行われた模様。

当日、フォルテのロビーには、粟市長と寺田さん(東京野々市会会員・Moonlight JAZZ Orchestraメンバー)もすでに来られていて、雑談し演奏会場へ。

第1部は、ホストバンドMoonlight JAZZ Orchestraとゲスト出演者によるセッションが行われた。出演者は、デュークエリントン楽団のレギュラートランぺッターJAMES D ZOLLARさん、1996年に渡米してからニューヨークを拠点に国際的に活動中で、2016年度日本ジャズボーカル賞「大賞」を受賞の霧生ナブ子さん、自己のカルテットを始め様々な実力プレイヤーとの共演を重ねている期待の若手サックス奏者 中島朱葉さんによりConcert for Cootie、Cotton Tail、In a Mellow Toneほか数々の曲が演奏された。

第2部は、~Tribute to Duke Ellington~と題して、片倉真由子さん(ピアノ)、粟谷巧さん(ベース)、田中徳崇さん(ドラム)のトリオに、中島朱葉さん(サックス)、井上智さん(ギター)、JAMES D ZOLLARさん(トランペット)、が加わり、代表曲の“A列車で行こう”(1941年)ほかDuke Ellingtonの世界が奏でられた。最後は観客の手拍子と一体となり、会場はNYハーレムが再現されたようであった。

コロナ禍でこれまで外出機会が少なかったが、晩秋の野々市で本流のジャズを聴いて久しぶりにいい気分になった。来年もまたBIG APPLEを聴きに来よう!♫

入口の様子来場者チケット舞台の様子

(2022年12月2日 嶋田良夫記)

10.父を想う。

先月、父は逝ってしまった。大正・昭和・平成・令和の時代を生き抜いた98年の人生だった。

父は、生涯野々市を離れることなく、野々市を愛し、遠縁の行野小太郎さん(当時の野々市町嘱託:歴史編纂)から後を託され、仕事の傍ら地域の歴史を掘り起こし調査・研究をした。

進学を機に上京し、離れて暮らしていたので、父の軌跡はあまり詳しく知ることができない。帰省の折には、父がまとめた地域の歴史についてよく聞かされたが、その時は聞く耳を持たなかった。偶々、父が元気な頃に地元の経営者の集まりから野々市の歴史についての講演依頼があり、そのレジュメ作成を手伝ったことがあったので、野々市の古をいくらか知ることができたように思う。

父は史料の少ないなか、足で歩いて調べたものを手書きしていたが、その中の一部である『独学・ふるさとの歴史研究』(http://tiikijiten.jp/~digibook/shimada_lib/mobile.php<外部リンク>)を当時の(財)野々市町情報文化振興財団のお骨折りで「でじたるbook」に掲載いただいたので、落ち着いたら時間のある時に読んでみようと思っている。

父は太平洋戦争の頃青年期にあり、その時どのような人生を歩もうとしたのか、そしてどのような人生であったのかを聞いてみたかったが、もう叶わない。「体調はどう?」等、日常的な会話だけで、まとまった話ができなかったのが悔やまれる。

さぁ、元気なうちに、子どもたちにいろいろなことを話しておこう。

(2022年12月2日 嶋田良夫記)

9.“第13回いしかわ県人祭in東京”が開催される!

10月28日(金曜日)、“第13回いしかわ県人祭in東京”が東京・文京区関口のホテル椿山荘東京にて3年ぶりに開かれ、首都圏在住の石川県出身者やゆかりのある約770名が集った。

開催に至るまで各ふるさと会の代表者からなる実行委員会は、この会が安全で楽しいものになるよう十分に準備を進めて当日を迎えた。

ロビーには午後4時前から開場が待ち遠しいと多くの参加者が詰めかけ、いしかわ物産市、裏千家・奈良宗久社中によるお茶席、サテライト会場における永吉繭美さんによる歌のステージ、琴平メイさんによるハープ演奏、およびミス・ワールド・ジャパン2022の山口佳南さんほかのトークショーを楽しんだ。

午後6時30分からの県人祭夜会は御陣乗太鼓のオープニング演奏によりスタートし、続いて石川県観光大使を務める歌手の島津悦子さんの歌謡ショーで会場が大いに盛り上がった。

テーブル席は、感染対策上、パーテーションの設置、個々にハンドジェルの備付けがなされ、個々に準備された地酒・県産食材が用いられたメニューの和洋食の料理プレートが提供された。東京野々市会は2名の参加であったが、相席テーブルの他の同窓会の方々と交歓し、あっという間に午後8時30分の閉会となった。

コロナ禍での3年ぶりの開催で、会場前の大盛況の物産市での混雑、マスク会食の限界等々、感染対策上の課題は残ったが、次回はノーマスクで思い切り楽しめる県人祭であって欲しい。

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(2022年11月1日 嶋田良夫記)

8.コロナ禍を生きる                                               ~秋のイベントin Nonoichi~

コロナ禍の生活では、発生当初のStay Homeの時に比べれば各々が感染リスクを理解しながら行動するようになってきている。

野々市では今年のイベントはこれまで殆ど中止となったが、この秋に感染予防に万全の対策を取りながらイベントの開催が予定されている(以下、概要)。

10月9日(日曜日)、3年振りに“10th北国街道 野々市の市”が開催予定で、前日の8日(土曜日)にはその前夜祭として街道(本町通り)で “じょんから踊り流し”が行われる。ちょっと帰省し、じょんから踊りに加わるのもよし、また加賀藩政期から交通の要所として栄えた往時の野々市に思いを馳せ秋の街道をぶらり歩くのもよし。久々、幼馴染みにばったり出会えるかも・・・。

10月8日(土曜日)の午後、“みんなの音楽会~見て・聴いて参加して、楽しみ方を知るともっと深まるクラシックの世界から~” が野々市市文化会館フォルテにて開催される。野々市を拠点に活動されている、野々市市出身のヴァイオリニスト坂口昌優さんと金沢市出身のピアニスト鶴見彩さんが出演予定。ちょっと堅苦しいクラッシック演奏会とは違い、演奏者と聴衆が一体となって楽しめますよ!

11月20日(日曜日)午後、“28th Big Apple In Nonoichi 2022”がフォルテにて開催され、今回はTribute To Duke Ellingtonと題して、海外からも含め7名の演奏者が出演予定。

東京野々市会会員の寺田光寛さんはHost bandのムーンライトJAZZオーケストラに今年も参加しトランペットを吹かれる。寺田さんは昨年の会員コラムでBig Apple In Nonoichiにふれて「毎年11月が近づくとそわそわしてくる」と嬉しそうに述べられている。

代表曲の「A列車で行こう」「キャラバン」等、Duke Ellingtonの世界に浸ってみては如何!

(ムーンライトJAZZオーケストラとBig Apple In Nonoichiについては、以下ご参照。https://bigapple.nono1.jp/about/<外部リンク>

 

<秋のイベントin Nonoichi概要>

イベント名

開催予定時期

開催場所

イベント内容

お問い合わせ先

北国街道

じょんから踊り流し

10月8日(土曜日)

17:30~19:00

野々市市本町2丁目~3丁目本町通り

「じょんから踊りとやさ踊り*の踊り流し」ほか

(*「やさ踊り」

はじょんから踊りの源流といわれる)

北国街道野々市の市実行委員会

渉外担当小松様(090-8965-3258)

10th北国街道野々市の市

10月9日(日曜日)

10:00~17:00

同上

喜多家でのイベント開催、農家の野菜直売青果市、各商店・企業PRブース出展ほか

獅子舞・こども野菜神輿同時開催

同上

みんなの音楽会

10月8日(土曜日)

14:00開演(13:30開場)

野々市市文化会館フォルテ大ホール

<演奏予定曲>

ブラームス:ハンガリー舞曲 第5番

プロコフィエフ : ヴァイオリンソナタ 第2番OP.94、ロミオとジュリエットより「モンターギュ家とキャピュレット家」 ほか

野々市市文化会館フォルテ

(076-248-8000)

28th Big Apple In Nonoichi 2022

11月20日(日曜日)

15:00開演(14:00開場)

野々市市文化会館フォルテ大ホール

<出演者>

James D Zollar

(トランペット)

霧生ナブ子

(ボーカル)

片倉真由子

(ピアノ) ほか

Host band:

ムーンライトJAZZオーケストラ

野々市市文化会館フォルテ

(076-248-8000)

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(2022年10月3日 嶋田良夫記)

7.コロナ禍を生きる                                                                 ~“石川ひやおろし”の解禁を待つ!~

今月の第二金曜日、9月9日に“石川ひやおろし”が解禁される。先日、早速地元百貨店で、お世話になった方々、子どもたち、自宅へ手配した。今回選んだのは、白山市の酒蔵で醸造され決して期待を裏切らない香りと味を持つ純米吟醸酒と、数十年前に日経コラムで紹介されて一度訪れたことのある、能美市の酒蔵で造られるフルーティな純米酒である。いずれも封を切った瞬間の香りが楽しみである。

今年の“石川ひやおろし”は、加賀の酒蔵から16、能登から11の合計27銘柄、また種類は、吟醸系10、純米系16、本醸造系1の銘柄が発売予定である。

日本酒は吟醸系、純米系、本醸造系などの14種類(国税庁「清酒の表示早わかり」)に分けられているが、今年の“石川ひやおろし”にある、吟醸系、純米系、本醸造系の特徴とそれぞれのお酒に合う料理を調べてみると以下のとおりである(地酒蔵元会「日本酒の種類別 合う料理」)。

「吟醸系」は、フルーティな広がる香りと軽快で爽やかな味わいが特徴で、濃い味の料理との相性はあまりよくなく、素材の味を活かしたあっさりとした味付けの料理がよく合う(お刺身、カルパッチョ、魚の塩焼き、山菜の天ぷらなど)。

「純米系」は、お米のふくよかな香りがするのが特徴で、白米に合うしっかりとした味付けの料理にあわせるのがよい(煮物料理、肴の煮つけ、肉料理、野菜炒め、グラタンなど)。

そして「本醸造系」は、香りが控えめであり淡麗辛口、清涼感がある味わいが特徴で、様々な種類の料理と相性がよい(冷奴、カルパッチョ、茶碗蒸し、鮎の塩焼き、ロールキャベツなど)。

以上からすると、食前食後には吟醸酒、メインの食事には純米酒や本醸造酒がよさそうである。

日本酒の“ひやおろし”とは、江戸時代、冬にしぼられた新酒が劣化しないよう春先に火入れ(加熱殺菌)した上で大桶に貯蔵し、ひと夏を越して外気と貯蔵庫の中の温度が同じくらいになった頃、2度目の加熱殺菌をしない「冷や」のまま大桶から樽に「卸(おろ)して」出荷したことからこう呼ばれ、秋の酒として珍重されてきたようである(2021日本名門酒会「お酒の歳時記 折々の酒 秋の酒」)。

早くコロナ禍が収束し、石川から“ひやおろし”を取り寄せて、「利き酒会」を企画できればよいと考えている。

(2022年9月1日 嶋田良夫記)

 

〈参考資料〉

国税庁「清酒の表示早わかり」

https://www.nta.go.jp/about/organization/sapporo/sake/02.htm<外部リンク>

 

「石川ひやおろし2022」

ひやおろし

https://ishikawa-sake.jp/seasonal/hiyaoroshi/<外部リンク>

6.コロナ禍を生きる                                                                     ~“コロナとの闘い”から“ウィズコロナ”のステージへ~

日本全国で7月23日、新たに20万975人の新型コロナウィルス感染が確認された。4日連続で過去最多を更新し、初めて20万人を上回った。東京で3万2698人の感染が報告され、大阪や神奈川、愛知など17都府県が最多だった。感染力が強いオミクロン型の派生型「BA.5」の拡大が続き、感染の拡大が続いている。全国の感染者は流行「第6波」のピークだった2月の約2倍の水準に達した(2022年7月24日、日経(朝)1面)。

そのような状況のなか、政府は濃厚接触者の扱いを緩め、社会経済活動を回していくことを重視した対策を打ち出した。新型コロナウィルスを普通の病気として扱えば、幅広い医療機関で受診できるようになる一方、若くて健康なら必ずしも受診しなくてよく、医療資源は重症化リスクが高い人に集中できるという考え方である。

感染対策と経済・社会活動を両立する“ウィズコロナ”の達成は第6波以降の大きな宿題であったが、今回の感染拡大の最中に感染対策よりも社会経済活動をより重視する方向に舵を切った(2022年7月24日 NHK日曜討論、山際新型コロナ担当大臣発言「新たな行動制限については、『ウィズコロナ』で社会活動をどう動かしていくかというステージに入っているという認識を持っているので、今のところ考えていない」)。

長引くコロナ禍で社会経済活動を重視する方向性は理解できないわけではないが、現在のところ治療薬は中等症以上のものしか手当てがない状況下、感染リスクに対する不安が残る。まさに感染予防は国民一人ひとりの「自助」に委ねられて、それぞれの価値観次第ということになった。

そこで、私たちはこの2年余りの経験により基本的な感染対策を続けていくことになるが、感染の減少を加速させるために更なる検査体制の充実、そしてワクチン接種の促進が求められよう。なぜなら、感染が続く限りウィルスは変異を繰り返して強固になり増殖していくからである。

(2022年8月1日 嶋田良夫記)

5.この夏、イベントに参加しませんか?                                            ~いしかわ関連のイベント情報満載!~

首都圏で開催予定の石川県関連のイベント情報(2022年7月~9月)をご案内します。

感染状況が拡大傾向にありますので、感染予防対策のうえお出かけください。

イベント名

開催予定時期

開催場所

イベント内容

お問い合せ先

石川県アンテナショップによる出張販売

7月6日(水曜日)

~7月18日(月曜日)

丸広百貨店

東松山店(埼玉県東松山市)

いしかわ百万石物語江戸本店による出張販売

石川県経営支援課

(076-225-1525)

赤いか&岩ガキ販売

7月16日(土曜日)

~7月18日(月曜日)

いしかわ百万石物語江戸本店

赤いかと岩ガキの店頭販売

石川県経営支援課

(076-225-1525)

石川県アンテナショップによる出張販売

7月20日(水曜日)

~7月25日(月曜日)

丸広百貨店

坂戸店(埼玉県坂戸市)

いしかわ百万石物語江戸本店による出張販売

石川県経営支援課

(076-225-1525)

同上

7月20日(水曜日)

~7月25日(月曜日)

小田急百貨店

新宿店

同上

石川県経営支援課

(076-225-1525)

石川の地ビールフェア

7月20日(水曜日)

~8月16日(火曜日)

いしかわ百万石物語江戸本店

石川の4つのクラフトビール事業者の商品を集めたフェア開催

 

<フェア期間中の週末には、各社によるイベント開催予定>

・7月23日(土曜日)~

7月24日(日曜日)

オリエンタルブルーイング(金沢市)

・7月30日(土曜日)~7月31日(日曜日)

金澤ブルワリー(金沢市)

・8月6日(土曜日)~8月7日(日曜日)

Heart & Beer日本海倶楽部(能登町)

・8月13日(土曜日)~8月14日(日曜日)

わくわく手づくりファーム河北(河北町)

石川県経営支援課

(076-225-1525)

どじょうの蒲焼販売

7月23日(土曜日)

いしかわ百万石物語江戸本店

どじょうの蒲焼の店頭販売

石川県経営支援課

(076-225-1525)

石川県アンテナショップによる出張販売

7月27日(水曜日)

~8月1日(月曜日)

丸広百貨店

上尾店(埼玉県上尾市)

いしかわ百万石物語江戸本店による出張販売

石川県経営支援課

(076-225-1525)

加賀・能登・金沢美味特選会

9月1日(木曜日)

~9月7日(水曜日)

京急百貨店

(横浜市)

石川の特産品の販売

石川県経営支援課

(076-225-1525)

ルビーロマン×加賀しずくイベント

9月2日(金曜日)

~9月4日(日曜日)

いしかわ百万石物語江戸本店

未定

石川県経営支援課

(076-225-1525)

北陸物産展

9月15日(木曜日)

~9月20日(火曜日)

東武百貨店

船橋店(千葉県船橋市)

石川の特産品の販売

石川県経営支援課

(076-225-1525)

ニッコー陶器展

9月16日(金曜日)

~9月26日(月曜日)

いしかわ百万石物語江戸本店

ニッコー(白山市)による陶磁器販売

石川県経営支援課

(076-225-1525)

甘エビ・ガスエビ販売会

9月17日(土曜日)

~9月19日(月曜日)

いしかわ百万石物語江戸本店

甘エビ・ガスエビの店頭販売

石川県経営支援課

(076-225-1525)

2022年度 首都圏いしかわ交流推進委員会(2022年7月2日開催)資料から抜粋

(2022年7月11日 嶋田良夫記)

4.コロナ禍で第34回東京野々市会総会が開催される!

2022年7月2日(土曜日)午後1時30分から有楽町 いしかわ百万石物語 江戸本店 2階に於いて、粟 貴章 市長、石田 寛人 石川県人会長をお招きして、第34回定時総会が開催された。

コロナ禍で3年振りの対面開催となったが、当日は汗も滴る猛暑のなか、9名の会員が参集した。

マスクを着用した参加者は、会場入口で検温・手指消毒の感染予防をしたあと席に着いた。会場探しが大変な中、今回は松原さんのお取り計らいで、いしかわ百万石物語 江戸本店を利用することになった。有楽町駅から徒歩5分というロケーションに加え、石川県のアンテナショップ2階とあって天井が高く素晴らしい会場で、一同感激!来年の総会もここで開催することと相成り、即2023年7月1日(土曜日)の予約をお願いした。

総会に入る前に、昨年 元会長 小西二郎さん、前会長 中嶋一郎さん、副会長 塚岸昭二さんが相次いでご逝去されたので、お三方に対し黙とうを捧げた。

続いて、「市長との意見交流が当会一番の『売り』」とあって、市長とのツーショットや集合写真撮影に移り、その後総会スタートとなった。

会長は、今年度は2023年2月18日(土曜日)開催予定の “創立30周年記念の集い” を安心して楽しめるよう、また野々市市第二次総合計画にある「野々市ファンの拡大」に向けて野々市を応援して行きたい旨表明した。

粟 市長からは、第二次総合計画の骨子説明があり、東京野々市会に対し「野々市ファンの拡大」に期待したい旨、また本年度は「住みよさランキング2022」で全国3位になり、引き続き市民協働のまちづくりに努めて行きたい旨ご挨拶があった。

石田県人会長からは、東京野々市会が元気で活動していることや野々市市が「住みよさランキング」に上位にランクされていることを県人会として嬉しく誇りに思う旨のご挨拶をいただいた。

引き続き議案審議に入り、2021年事業報告から役員交代の議案に至る7議案の全てが満場一致で承認された。

総会では、できるだけ丁寧な議事運営に努めたため積極的な質疑応答がなされた。また市長とも十分意見交換する時間が取れ、午後2時45分の閉会となった。

今回はコロナ禍でもあり、会食に替え、出席会員のみなさまへいしかわ百万石物語江戸本店での買い物券を手土産としてお渡しした。そして、それぞれが買い物券を手にして物産品コーナーに下り、両手で買い物をして散会した。

総会集合写真

(2022年7月2 日 嶋田良夫記)

3.「野々市ファン」の拡大                                      ~野々市市第二次総合計画2022-2031を読んで~

昨年12月20日野々市市第二次総合計画基本構想が市議会定例会で議決され、今年度に第二次総合計画2022-2031がスタートした。

計画書は、副題を「~かがやき無限大  みんなでつくる  インパクトシティののいち~」 とし、まちづくりを進める上で大切にする以下の3つの考え方を掲げている。

〇市民協働のまちづくり

 幅広い分野において、市民と行政との間で協働のまちづくりが定着していくことをめざします。

〇SDGsの推進

 SDGs達成に向けた取組について、市民や団体、事業者などの多様な主体と連携を図りながら推進します。

〇野々市ファンの拡大

 野々市市を応援してくれる「野々市ファン」を増やす取組を推進します。

「市民協働のまちづくり」は第一次総合計画に引き続き取り上げられており、より良い野々市市を次世代に引き継いでいくためには、市民と行政がタッグを組んでまちづくりをする必要性が求められ、「SDGsの推進」は野々市市のさらなる発展と持続可能で多様性のある社会の実現を目指すこと、また「野々市ファンの拡大」は野々市を外から客観的に見て野々市を応援するファンの拡大を図ることにある、と読み取れる。

第二次総合計画策定にあたって、市民、出身者、職員に対し意識調査がなされた。その調査の一つである野々市への「誇りや愛着」に関する項目において、「強く感じる」と回答したのは、市民が28.1%、出身者(東西野々市会)が45.4%、職員が36.9%で、出身者の回答が優位にあることから、野々市を心の拠りどころとする出身者の多いことが窺われる。

以上、第二次総合計画の達成に向けて、私たち東京野々市会も、首都圏で会員一人ひとりが元気に活躍し、あらゆる場面で、あらゆる機会を捉え、また、あらゆる媒体により野々市をPRし、「野々市ファンの拡大」を図って行きたい。

第2次総合計画 表紙

(2022年6月2日 嶋田良夫記)

2.コロナ禍を生きる~ある入学式の校長先生の訓示から~

――1人の羊飼いが、どうして多くの羊の群れを率いることができるのだろうか?

一般に、羊は群居性が強く集団で行動する動物で、歩くときに蹄(ひづめ)の間にある趾間腺(しかんせん)から分泌物を土の中に残し、その匂いを他の個体が追う性格がある。また羊は非常に臆病な動物であるゆえ群れたがる性質をもち、群れから引き離されると強いストレスを受け先導者に従う傾向が強く、最初に動いた羊の後を追って集団として動いていく習性がある。特に、群れた羊は危険などを感じ1頭がパニックになると他の羊もパニックになり一斉に逃げ出す習性が強いことから、牧羊犬などをもってしても、彼らの群れを従えるのは難しいとされる。

一方で、山羊も群れで行動し、危険に出会ったとしてもただ逃げ回るだけでなく、群れのリーダーとなるオスが角を傾けて敵に向かって対峙することもあり、冷静に行き先や逃げ道を判断するようである。また性格が温順な一方、厳しい環境で育った種であるゆえに好奇心や自立心が強く、物おじせずに先に進む性格とされている。

羊飼いたちは、このような山羊の性質を利用して羊の群れに山羊を1頭いれて、棒や牧羊犬を使って山羊を上手くコントロールすることで多くの羊の群れを率いることができている。

新たなステージに向けてスタートを切る若者に対し、「羊」のように集団に任せて進むのか、「山羊」のように自らの意思で進むのか、を問い掛け、これからの生き方に示唆を与える含蓄のある訓示であった(精神科医 名越康文氏も羊と山羊の性格について同様の論評を寄せられている)。

(2022年5月6日 嶋田良夫記)

1.公立学校の女性管理職比率、石川県が全国1位に‼                    ~国際女性デーに寄せてジェンダーを考える~

文部科学省が2021年12月に発表した人事行政状況調査によると、全国の公立校で女性管理職の割合が同年4月時点で、初めて2割を超えた(過去最高の21.1%:前年比+1.4%)。

都道府県別に見ると、石川県が最も割合が高く全国1位の37.7%となった。

この公立校の女性管理職の割合は都道府県によって差が大きく、管理職の働き方改革が課題となっている。石川県では2005年から小学生以下の子どもを持つ教職員向けに連続休暇の取得ができる「ファミリー休暇」を実施するなど、子育て世代の教員の働き方の改善が最高値に結び付いたものと思われる(日経(朝)2022年2月7日、19面)。

内閣府による第5次男女共同参画基本計画の新しい目標には、「2020年代の可能な限り早期に指導的地位に占める女性の割合が30%程度となるよう目指して取組を進める」と掲げられているが、全体として達成が難しい状況にある。

また世界経済フォーラムが2021年3月に公表した「ジェンダー・ギャップ指数2021」を見ても、日本のジェンダー・ギャップ指数の総合スコアは0.656、順位は156か国中120位(前回は153か国中121位)で、先進国の中でも最低レベルにある。G7各国中でも最下位で、アジア諸国の中で韓国や中国、ASEAN諸国よりも低い結果となっており、各国がジェンダー平等に向けた努力を加速している中で、日本が遅れを取っている(『共同参画』2021年5月号)。

昨年12月26日に「朝日教育会議2021」(早稲田大学・朝日新聞共催)が開催され、「ダイバーシティーとインクルージョンは社会の硬直性を解く鍵となるか」というテーマで議論が深められた。

G7各国の中で最下位のジェンダー・ギャップ指数の改善には、組織トップの意識改革と理解、女性管理職比率の数値目標(クォーター制導入)、性別に関する役割などを巡る無意識の思い込み(アンコンシャスバイアス)に対する対応、男性育休取得による家事・育児の分担サポート等の働き方改革が必要である旨プレゼンされた。

以上、第5次男女共同参画基本計画の「人々の性別に偏りがない社会を目指す」新しい目標達成や、ジェンダー平等に向けた世界的な潮流から、社会では性差のないダイバーシティーとインクルージョンに向けた取り組みが求められる。

 

ジェンダーギャップ指数(2021)上位国及び主要国順位 各分野における日本のスコア 

【GGI(2021)上位国及び主な国の順位】 【各分野における日本のスコア】

G7各国のGGI比較

  【G7各国のGGI比較】

(出典:『共同参画』2021年5月号)

 

(2022年4月5日 嶋田良夫記)

2021(令和3)年度

20.「リスキリング(学び直し)」とは何か?
  ~DXに向けてリスキリングの必要性が叫ばれる~

最近デジタルトランスフォーメーション(DX)という語を目にすることが多くなった。
少し調べて見ると、DXとは、「インフォメーションテクノロジーの浸透が、人びとの生活をあらゆる面でより良い方向に変化させる」という仮説で、2004年にスウェーデンのウメオ大学教授エリック・ストルターマンが提唱したとされる。

経済産業省DXガイドラインには「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズをもとに、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」と定義されている。
簡潔に言えば、「データやデジタル技術を活用して、ビジネス全体を根底から変革する」ことで、例えばデジタル化によって従来なかった製品やサービスを生み出す、業務プロセスを再構築し生産性向上やコスト削減を図る、業務そのものを見直し働き方に変化をもたらす、といったことのようである。

このようにデジタル時代の変革に対応するには、企業として、社員の「リスキリング(学び直し)」の導入が欠かせないといわれている。「リスキリング」は従来の企業内におけるOJT(職場内教育訓練)など長期の企業内教育訓練と違い、新しいビジネスモデルの開発や新たな付加価値の高い商品・サービスの創出のために必要な人材育成を目指すものであるが、米国企業に比べ日本の企業ではコスト面からリスキリングの実施が余り進んでいないようである(大企業31%未満、中小企業10%:産業能率大学調べ)。

日経新聞(2022年2月9日 (朝)18面)に、野々市市に在住する社長が経営する、工作機械の製造販売・周辺機器の開発設計を業とする企業が、「デジタル化が遅れ、新たな技術を生かした顧客宛の提案ができない」という危機感から中堅社員と若手社員に「リスキリング」を実施した結果、新たな製品開発により顧客への提案に結び付いた、との記事が掲載されていた。

日本企業の規模を問わず社員の「リスキリング」導入の動きが鈍いといわれているなか、「リスキリング」を実施し新たな事業戦略に果敢に取り組んでいる野々市の企業経営者の存在を知り、デジタルトランスフォーメーションやリスキリングの知識が少し深まったような気がする。

(2022年3月3日 嶋田良夫記)

19.石川県人会会報『石川縣人』vol.75新年特集号に寄稿!
  ~創立30周年を迎えた東京野々市会をPR~

当会会員で石川県人会常任理事(事業副委員長)本田ゆり子さん にご紹介いただき、石川県人会会報『石川縣人』 vol.75新年特集号 (2022年1月27日発行)に当会の活動状況について寄稿しました。

この会報は毎年2回定期発行され、約600名の会員に配布されています。石川県人会は、首都圏における「郷土石川の応援団」として最大のネットワークを持つ組織で、このたびの当会PR記事の掲載が会員数拡大に結び付くものと期待しております。

会員のみなさまにおかれましても、コロナ禍で活動がままならない状況ですが、小中学校の同級生等首都圏在住のご友人へ入会呼びかけいただければ嬉しく思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・以下、掲載全文・・・・・・・・・・・・・・・・・・

東京野々市会、創立30周年。~新規会員募集中‼~

 東京野々市会は1990(平成2)年2月25日に当時の野々市町の肝いりで「野々市応援団」として設立され、一昨年「創立30周年」を迎えました。
 現在、幅広い年代(30~80代)、多様な経歴の40余名の会員を擁し、創立時のテーマである「和やかに会える『会』」をモットーに、野々市市のバックアップにより活動しております。年間の活動は、定時総会・懇親会の開催、「野々市市ふるさと交流会in東京」、「いしかわ県人祭in東京」、「いしかわ百万石の集い」に参加して会員相互および他のふるさと会との交流を図っております。定時総会・懇親会では市長自らが参加され、会員と膝を交えた交流が行われています。この市長との意見交流が当会一番の「売り」であり、市長との交流を楽しみにして会員が集まり、若手会員が徐々に増えてきています。
 しかし、一昨年の新型コロナウイルス感染症の発生・蔓延により、活動がままならない状況にあります。そして、数年前から準備を進め、楽しみにしていた「創立30周年記念の集い」の開催も延期を余儀なくされました。
 そこで、コロナ禍における活動について役員間で協議を重ね、「常に会員のみなさんとつながりを持とう!」ということになりました。具体的には、ホームページの刷新による活動状況の可視化・アップデイト、会員のメールアドレス登録促進(登録率約80%)、Zoomの活用、インスタグラムの立上げ等により、リアル活動が難しい中、バーチャルでの活動を続けています。ウイルスの根絶は困難と思われ、ウイズコロナの中、リアル、バーチャル、デュアルを駆使して引続き活動して行きたいと思っております。
 「野々市応援団」として、みなさまのご入会をお待ちしています。

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石川県人会会報 嶋田会長寄稿文

(2022年2月3日 嶋田良夫記)

18.コロナ禍を生きる~記憶の引出~

――記憶を呼び戻そうとしても、なかなか思い出せずもどかしく思うことがある。記憶の引出から取り出せないのはどうしてであろう。――

老化現象のせいなのか人の名前や固有名詞が出てこない、物忘れする、とよく耳にする。
そこで、「脳」のメカニズムからヒントが得られないか、脳科学者 池谷裕二先生(東京大学大学院薬学系研究科教授)の著書『記憶力を強くする 最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方』講談社(2020年2月7日)を読んでみた。

人の脳全体の神経細胞が約1,000億個あり、その中におよそ1,000万個の海馬が存在すると推定され、海馬は「記憶情報の管理塔」として記憶にとって重要な役割を果たしている。そして、その海馬の中にある「歯状回」という細胞の減少によって海馬への「情報入力」ができなくなるために記憶力が悪化する、とある。なんだか難しい話である。

さらに読み進むと、記憶の期間によって「短期記憶」(30秒~数分以内に消える記憶、7個ほどの小容量)と「長期記憶」(さらに長いもの)、また長期記憶には「エピソード記憶」(経験による記憶、個人の思い出)、「意味記憶」(知識によって得られる記憶)、「手続き記憶」(体で覚えるものごとの手順)、「プライミング記憶」(勘違いのもと?サプリミナル効果)に分けられる。長期間によって形成された記憶は長く残り、衝撃的な現場風景など印象深かったシーンは「エピソード記憶」として長期間にわたって覚えられ自分で意識して自由に思い出せるようである。
歌舞伎俳優 尾上松緑さんは、“記憶のコツ”として、固有名詞を覚えて情報を紐付けることによって、そこに関連する事柄を逆引きすることもでき、例えば、石川県→「兼六園」の近くのホテルに泊まったな→県庁所在地は金沢市だ→大体の位置はあの辺りだ、などと一つの固有名詞と経験に基づく情報から、連続して関連した情報を引き出すことができる、と述べられている(2021年12月20日日経(夕刊)10面)。どうも記憶を引き出せないことや物忘れは老化現象とは関係ないようにも思える。

さらに興味深い記述がある。何事にも初体験のときのことはよく覚えており、最も効率的な記憶方法は覚えたい対象に興味を持つことである。年齢を重ねると、ものごとに対する情熱が落ち、熱中できなくなる、感動も薄くなり、記憶力が落ちたように錯覚してしまう。一度低下してしまった脳機能をもとに戻すのは並大抵の努力では無理で、普段から刺激と興奮を求めるような生活を心がけねばならない。また作家サン・シモン(1760-1825)は晩年にこう語った。「感動する心を失ってはならない。感動する心を失ったら何事もなされない」と。 ガッテン!

記憶力を強くする

(2022年2月1日 嶋田良夫記)

17.2022東京野々市会~会長からのメッセージ~

あけましておめでとうございます。お健やかに2022年をお迎えのことと存じます。

2019年12月に中国武漢市で新型コロナウイルス感染症が発生して以来2年が経過しましたが、世界では依然として感染が収まる気配がありません。日本では、感染ピークの第5波で医療体制が逼迫状態に陥りましたが、その後マスクの着用・手洗いなど、一人ひとりの徹底した感染対策や高いワクチン接種率等により、感染が落ち着いている状況にありました。しかし、昨年11月、南アフリカで出現した新たなる変異株「オミクロン」が、世界の多くの国々に感染が拡大しており、また日本においても
市中感染が確認され、まだ暫くは“コロナとの闘い”が続きそうに感じられます。

2021年を振り返って特筆したいことは、コロナ禍において求められる行動変容によって、大学の授業や企業活動等へのリモート・オンライン化が進み、授業の形態や企業等における働き方に変革をもたらしたこと、そして豪雨によって日本やドイツを襲った河川氾濫と洪水、アフガニスタンの干ばつ等、地球温暖化の影響により世界各地に被害がもたらされたことであります。
地球温暖化については、1960年代に地球の大気の状態の変化(大気と地表の熱のバランス)をコンピューターで再現する方法を開発し、地球温暖化予測の基礎を築いた研究により、2021年のノーベル物理学賞に真鍋淑郎さん(米国プリンストン大学上級研究員)ら3人が選ばれました。しかし、そのあと11月に開催された第26回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP26)では、各国の思惑が絡み交渉が難航し、その最大の焦点だった石炭火力発電の利用について、合意文書が当初案の「段階的な廃止」から「段階的な削減」に変更され、地球温暖化の解決に向けての難しさが露呈しました。

野々市市は、昨年11月11日に市制施行10周年記念セレモニーを文化会館フォルテにて開催し、これまでの10年を振り返るとともに、次なる10年に向けて飛躍を期しました。

私たち東京野々市会は長引く感染の影響を受けて、昨年はリアルでの活動が殆どできませんでしたが、ホームページでの情報発信、インスタグラム立上げによる試行運用、野々市市から“野々市市ふるさと交流会in東京”の参加者への入会呼びかけ等により、新たに5名の方が入会されました。一方で、長きに亘り会の発展に大変ご尽力いただいた、顧問 小西二郎さん(第4代会長)、顧問 中嶋一郎さん(第5代会長)、副会長 塚岸昭二さんが逝去されました。改めて、お三方に感謝し、ご功績を称えたいと思います。

今年こそは、1日も早くコロナ禍から脱し、本格的にリアル活動を再開したいところですが、感染状況を見ながら、アウトドア活動から順次始動して行きたいと考えています。昨年、アウトドア活動トライアルで訪れた、旧前田家本邸はなかなか見応えがありましたが、みなさまの一押しのスポットがありましたら、是非お寄せください。

なお、無期延期となっております“創立30周年記念の集い”は、候補日として来年2023年2月18日(土曜日)を予定しており、感染が収まり安心して開催できることを期待しております。

1347年に欧州で発生した大ペストは収束まで4、5年に及んだともいわれておりますが、“コロナとの闘い”から“日常”を取り戻せることを願うとともに、みなさまがこの1年お元気でご活躍されますようお祈り申しあげます。

(2022年1月1日 嶋田良夫記)

16.『野々市市制施行10周年記念誌』が発刊される ‼

野々市市制施行10周年を記念して、『野々市市制施行10周年記念誌』が発刊された。
野々市市から当会に1部寄贈され、「学びの杜 ののいちカレード」にも所蔵されている。

粟 貴章 市長は、巻頭の「発刊のごあいさつ」で、「10年前に『市民協働』が動き出し、その後『市民協働のまちづくり』が確かな歩みを刻むことができました。そしてさらに未来に向け、野々市市が目指す理想は、コンパクトなまちの中に詰まった魅力を市民のみなさんと共に磨き上げ、より一層の輝きを放つことです」(概要)と述べられている。

記念誌の内容は、「市制10年の歩み」「野々市市の歴史」「市民協働のまちづくり」の三部作となっている(概要は、以下のとおり)。

〇「市制10年の歩み」
2011(平成23)年11月11日の「いい日」に、石川県内11番目の市「野々市市」が誕生。翌2012(平成24)年4月、市民と行政が力を合わせてまちづくりを行うための目標を示した第一次総合計画がスタートし、2013(平成25)年5月に住民基本台帳人口が5万人を超えた。2014(平成26)年3月に「市民協働によるまちづくり推進指針」が策定され、その後「カレード」や「カミーノ」が開館。2020(令和2)年・2021(令和3)年連続で「住みよさランキング」全国1位になった。

〇「野々市市の歴史」
野々市には縄文時代から栄えた大集落があり、中世は守護・富樫氏が本拠を置いた。近世では北国街道の宿場町として発展。1912(明治45)年8月の野々市駅の開業から運輸・交通の拠点となり商工業が発展し、戦後に人口8,000人を超える新生野々市町が誕生。その後、高度経済成長時代には更なる人口増を受けて、学園を中心としたまちづくりが進み、2021(令和3)年、2年連続「住みよさ日本一」になった。

〇「市民協働のまちづくり」
「北国街道にぎわい創出プロジェクト」の取り組みによる、新たな魅力とにぎわいを創出(「市」の開催、「カレード」・「カミーノ」の開館)。2020(令和2)年3月、野々市中央公園が英国ロンドンに本部を置く国際ツバキ協会(ICS)から「国際優秀つばき園」に認定。2016(平成28)年、産業創出と起業支援体制を構築。2018(平成30)年から「野々市ブランド認定制度」が始まり5点の産品が認定。2015(平成27)年4月、市民主体のまちづくりを協働で進めていくための基本的なルールを定めた「まちづくり基本条例」が施行。

そして、野々市市では「次なる10年」に向け、以下8つの基本目標を掲げた「野々市市第二次総合計画」の策定の最終段階に入っている。

基本目標1:だれもがまちづくりの担い手となり、自信をもってアピールできるまち

基本目標2:心のかよう福祉のまち

基本目標3:みんなで取り組む安全・安心なまち

基本目標4:環境を考え、みんなで行動するまち

基本目標5:あらゆる世代が交流しながら、生涯にわたって学び、楽しめるまち

基本目標6:みんなが働きたくなる、活気のあるまち

基本目標7:くらし充実 快適がゆきとどくまち

基本目標8:多くの人に魅力が知られ、安心して長く暮らせる、市民みんなが支えるまち

以上の野々市市第二次総合計画(案)を踏まえ、私たち東京野々市会としても、野々市市の“ Next10 ”に向けて、首都圏に於ける活動を通じ「ふるさと野々市」を最大限PRして行きたい。

市制10周年記念誌表紙

(2021年12月6日 嶋田良夫記)

15.アウトドア活動のトライアル実施 ‼ ~駒場公園にある、旧前田家本邸を訪ねて。~

ワクチン接種の7割超えやマスクの着用等日本人の衛生観念に裏付けられた感染予防対策の徹底により、感染が小康状態にある。しかし、年明けの第6波の到来予想、また新たな変異株発生の懸念もあり、この間隙を狙って創立30周年記念事業準備委員会のメンバーで、ワクチン接種、正常体温、不織布マスク着用等の感染予防対策徹底のもとアウトドア活動のトライアルを計画した。

きょう11月14日(日曜日)午後1時30分、京王 井の頭線 駒場東大前駅に集合予定のところ、昨年のコロナ発生前からのリアル再会とあって早くからメンバー4名(中嶋顧問、塚副会長、東幹事、嶋田)が集まり、徒歩10分の駒場公園にある旧前田家本邸に向った。

旧前田家本邸(洋館・和館)は旧前田家16代当主前田利為侯(1885-1942)の居宅として1928(昭和3)年から1930(昭和5)年にかけて建設され、その邸宅跡地が1967(昭和42)年に駒場公園として開園した。

滞欧経験が豊富で駐英大使館附武官も務めた利為候は、「欧米諸国を歩いて常々残念に思うことは、わが国には外国からの貴賓を迎え得る邸宅がないということだ」と周囲に語っていたため、洋館は家族の生活の場を兼ねて迎賓館としても利用できるよう、和館は外国からの賓客に日本文化を伝える空間として設計された。ここを訪れた賓客は、田園の野趣が残る駒場の地に建つ英国風の重厚な洋館と瀟洒な和館の佇まい、邸内を彩る外国製の調度品や前田家伝来の品々に目を見張ったといわれた。

1942(昭和17)年に太平洋戦争に出征していた利為候の戦死後、邸宅は中島飛行機の手に渡り、終戦とともに連合国軍に接収され、1957(昭和32)年の接収解除後は国と東京都の分割所有となった。現在は目黒区立駒場公園として敷地と和館は目黒区が、洋館は東京都が管理している。また2013(平成25)年に、昭和初期の上流華族の生活をうかがい知ることができる重要な文化財として国の重要文化財(建造物)に指定された。

参加者4名は駒場公園東口から園内に入り、瀟洒な和館と英国風の洋館を約1時間半に亘りゆっくり見学し、ただただ加賀百万石の凄さを肌で感じた。

今回は活動再開に向けたトライアルであったが、新型コロナ発生後の“コロナとの闘い”から“ウイズコロナ”へと少しずつ移りつつあると思われるので、今後の感染状況を見ながらリアル活動のタイミングを見計りたいと思っている。

駒場公園東門 旧前田家本邸(和館)
駒場公園東門                     旧前田家本邸(和館)

旧前田家本邸(和館)内 旧前田家本邸(洋館)
旧前田家本邸(和館)内                旧前田家本邸(洋館)

旧前田家本邸(洋館)エントランス前 旧前田家本邸(洋館)エントランスホール
旧前田家本邸(洋館)エントランス前        旧前田家本邸(洋館)エントランスホール

旧前田家本邸(洋館)内 Lawn gardenからの旧前田家本邸(洋館)
旧前田家本邸(洋館)内                                  Lawn gardenからの旧前田家本邸(洋館)

(2021年11月14日 嶋田良夫記)

14.「しょたいでのおじま」の意味わかりますか?

東京野々市会の幹事をしています小林正宗です。

大学入学と同時に東京に来てから20数年間、首都圏を中心に生活しています。かつては日常的に使っていた方言もあまり使わなくなり、野々市に住んでいる両親と話すときにしか野々市弁(金沢弁?)が出なくなりました。

先日、新型コロナによる非常事態宣言明けに久々に野々市に帰省。すると、駅で中学生らしき生徒さんが次のように話していました。
「テストできた?」
「ううん。思ったより書けんかったよ。それよりさ、英語むずくなかった?」
「まあまあかな?まったくわからん、ってほどじゃあ、なかったかも」
「そうなん?すごいね!?」

野々市市の中学生は方言をあまり使わなくなった気がします。東京に住む私にとっては関東の中学生とあまり変わらない言葉に聞こえました。

30数年前に中学生だった私なら、次のような会話をしていたと思います。
「テストどうや?」
「なーん、思とったより書けんがやわ。そうや、英語難しなかった?」
「ほんなもんやわいや。なーんもできん、ってほどないやろ」
「ほんなんけ。すごいじ!?」

亡くなった祖父や祖母が使ってた「あのらして」「しょたいで」「おじま」「だらぶち」とかいう方言も、今は聞く機会すらなくなりました。野々市弁も時代とともに変わっているようです。

(2021年11月10日 小林正宗記)

13.野々市市「市制施行10周年」おめでとうございます‼

来る11月11日、野々市市は「市制施行10周年」を迎える。10年前の2011年に石川郡で唯一の町であった野々市町が石川県内11番目の市として誕生した。
また、2011年は悲惨で衝撃的な「東日本大震災」が発生し、「絆」の大切さが再確認された年でもあった。

市制施行当日には、文化会館フォルテに関係者約700人が出席し式典が盛大に挙行され、野々市市の誕生を祝った。式典では、粟市長が「人やモノ、知識や情報が集う市場のように賑やかな、そして、野々市市に住むことを誇りに思えるまちづくりを目指す」と挨拶した。また、次期総合計画の策定を記念して、「10年後の自分自身や家族などに向けた2,636通のメッセージ」、「未来の野々市を描いた絵」と「残したい野々市の風景を撮った写真」が『10年後の夢がつまったタイムカプセル』に入れられ、庁舎エントランスホールに設置された。このカプセルは今月11日に開催される野々市市制施行10周年記念セレモニーで開封される予定であるが、メッセージを書いた2,636人は10年前にどんな夢を抱いていたのであろうか・・・。

当時の人口は47,832人(2011年10月末時点 住民基本台帳)であったが、10年後の現在では53,819人(本年8月末時点 同台帳)と5,987人(12.5%)増加している。また、世帯数についても、20,525世帯から24,777世帯へと、4,252世帯(20.7%)増加している。
東洋経済『都市データパック』編集部が発表している「住みよさランキング」で2年連続全国1位となり、「商業施設がそろう良好な買い物環境」、「子どもの医療費助成が受けられる」など、子育て世代が住みよい街としてあげられているように、このことが人口・世帯の増加に結びついているものと思われる。
また、一般会計についても、当時152億円(補正)であったものが今年度予算は190億円と25.0%増の規模となっている。

翌2012年4月には、2012年から2021年までの10年間の市が取り組むべき目標を描いた「野々市市第一次総合計画~ “ともに創る ともに育む”人の和と、椿の持つ十の美徳が生きるまちづくり ~(キーワード「市民協働のまちづくり」)」がスタートした。

野々市中央地区は、旧役場の移転、商業形態の変換や少子高齢化により街道を形成していた商店の廃店などもあり街のにぎわいが失われつつあったところ、市制施行を機に、にぎわいを取り戻すため「北国街道野々市の市」が毎年開催されるようになった。さらに中心市街地としての求心力を強化するため、第一次総合計画にある野々市中央地区の整備事業として、2017年11月に市民が学習・文化・芸術に親しむ場「学びの杜ののいち カレード」が、2019年3月にヒト・モノが交流し、にぎわいを創出する場「にぎわいの里ののいち カミーノ」が開館となり、いずれも入館目標を遥かに超えて広く市民に利用されている。

以上、簡単に野々市市の10年間の主な推移を見てみたが、わが国では少子高齢化・人口減少が叫ばれている一方、ますます賑わいを見せ発展し続ける野々市を、私たち東京野々市会はこれからも「ふるさと野々市応援団」としてPRして行きたい。

野々市市開始式  10周年ロゴ

(2021年11月1日 嶋田良夫記)

12.キンモクセイの香る頃

季節はちょうど今頃だったと思う。指導教授がボソッと「キンモクセイの香る頃だね。」といわれた。それは、論文提出期限まで、「あと3か月しかないよ。」とのシグナルでもあった。キンモクセイが香る頃になると、睡眠時間を削りながらも遅々として進まず、焦りながら書いていたのを思い出す。

キンモクセイはモクセイ科の常緑小高木の一種で、元々は中国から渡来した花であり、9、10月頃に開花し、その甘い芳香は秋の風物詩になっている。本来ならば、秋の到来を感じるよい香りなのであるが、私にとっては苦しくて嫌な記憶を呼び起こす。

学校を卒業して随分になるが、試験前日に準備ができていない、期限前日に課題ができ上がっていない等、冷や汗の出る夢を見てパッと目が覚めることがよくある。日頃そうならないように備えているつもりであるが、我ら「団塊の世代(1947~1949年に生まれた世代)」という人口が多い競争社会で急き立てられて生きてきたからなのだろう。

これからは少し心の余裕をもって暮らして行きたいと思っている。しかし、それはそれで落ち着かないであろうが、キンモクセイの香りを心地よく感じる日が来て欲しい・・・。
ちょっと待てよ、良くも悪くもいろんな記憶すら出てこない日がいずれ来るかもしれないことを思うと、たとえ嫌な記憶が蘇ってくるのも悪くないかもしれない。いま慌てて、以前に買った 池谷裕二「記憶力を強くする 最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方」講談社(2020年)を読み始めている。

キンモクセイ

(2021年10月1日 嶋田良夫記)

11.秋を感じながらの一杯、最高! ~“石川ひやおろし”解禁~

今年も秋の限定酒“石川ひやおろし”が9月3日(金曜日)に発売開始された。毎年「重陽の節句」にあわせて解禁・一斉販売され、今年は加賀・能登の辛口・甘口を取り交ぜ全26銘柄が出揃った。
“石川ひやおろし”の存在は知らなかったが、数年前たまたま解禁日に地元百貨店を訪れ試飲し、それ以来取り寄せている。

「ひやおろし」は、厳冬に醸造し、春に火入れした上で貯蔵した清酒で、夏を越して秋風が立つ頃に熟成して、香味も落ち着き、丸みを帯びて飲み頃の味わいとなるそうだ。秋に2度目の火入れをするのが一般的であるが、火入れをせずに瓶詰めして出荷するものを「ひやおろし」と呼ぶそうである。まさに日本酒版ボージョレヌーヴォーである。
季節限定の「旬」のお酒でもあり、季節のご挨拶代りにお世話になった方や知人にお届けし喜ばれている。

現在産学官連携で開発試験を進めている、野々市喜多家の幻の日本酒・復刻「猩々」のサンプルが、今年の椿まつりでお披露目されたようであるが、一日も早く一般販売され“石川ひやおろし”に加わることを心待ちにしている。

椿まつりでお披露目した 喜多家の幻の日本酒 猩々
椿まつりでお披露目した 喜多家の幻の日本酒 『猩々』

(2021年9月17日 嶋田良夫記)

10.コロナ禍を生きる ~新型コロナウイルスは、なぜ発生したのか?~

新型コロナウイルスは、なぜ発生したのだろうか?
一昨年の12月、中国武漢で新型コロナウイルスが発生後、日本だけでなく、欧米の主要国で瞬く間に蔓延し、人の移動と経済を止め、世界をマヒさせ、いまだに収束の出口が見えていない。

WHOは、漸く今年の3月に新型コロナウイルスの発生源を調査した結果を発表したが、ウイルスの発生源の究明には程遠い内容であった。その調査告書では、4つの仮説(1.動物のウイルスが中間宿主を経由して人に感染、2.動物のウイルスが直接感染、3.冷凍食品による外部からの持ち込み、4.中国科学院武漢ウイルス研究所から流出した)のうち、「可能性が高い~非常に可能性が高い」と評価したのは、「1.動物のウイルスが中間宿主を経由して人に感染した」とするものであった(日経(朝)2021年4月16日、29面)。その後、米情報機関は本年5月から調査し、8月27日、明確な発生源の結論は出なかったと公表した(朝日(夕)2021年8月28日、8面)。しかし、ウイルスの発生源の特定は重要なことであるが、それよりも繰り返し発生する感染症の「発生原因」に関心があり、これまでに新聞に掲載された記事をフォローして一定の方向性が見えてきた。感染症に関する文献をいくつか読むと、感染症の発生は人口密度が低く小さな集団で生活していた狩猟採集の時代には流行の範囲もスピードも抑えられていたが、農業革命と定住化が野生動物との接触をもたらすことにより野生動物に潜むウイルスがヒトに感染し、さらにヒトの移動が激しくなると大陸横断的に猛威を振う、と書かれている。

昨年、感染状況が予想を遥かに超え、行動制限を余儀なくされモヤモヤしていた時、元米国際開発局新興感染症室長デニス・キャロル氏が、新型コロナウイルスの発生について「世界人口の爆発的な増加で農地拡大や都市化による森林伐採が続き、ウイルスを持つ野生動物と人間の距離が近づき、感染のリスクが高まっていて、さらにグローバル化の影響で、人が世界中に移動することになってウイルスも広がるようになった。新型コロナはこの典型である。」(朝日(朝)2020年5月28日、5面)と投稿されている記事を見た。その時は、人間のなした結果の必然かと思っていた。

そうこうしているうちに、国立環境研究所生物・生態系環境研究センター室長の五箇公一氏が、「生物種の多くが生息する熱帯雨林の破壊や地球温暖化が加速し、生物多様性の世界は劣化し続けている。野生生物の生活圏に人間が深く侵食することで、野生生物に潜んでいた未知のウイルスが人間社会に拡散することもある。その結果が、SARSウイルス、HIVウイルス、そして新型コロナウイルスなど新興感染症の出現につながっている。自然との共生社会を築くためには、人間社会と動物社会が双方の生活圏をわきまえ、互いの世界を侵食しない・させないというゾーニング(区分け)の考え方が重要となる。」(朝日(朝)2021年6月27日、5面)と投稿されている記事を読んで、今までの疑問とモヤモヤが消え、ストーンと腹に落ちた。長崎大学熱帯医学研究所教授 山本太郎氏(朝日(朝)2021年1月15日、13面)、東京大学名誉教授 山内一也氏(朝日(朝)2021年2月19日、15面)も新型コロナウイルスの発生原因について同様な見解を示されている。
最近よく報道されているように、クマが人里に大量に出没したり、サルが住宅街に現れたりしているのは、人間と野生動物がお互いテリトリーを超えたが故の事象なのかもしれない。

以上、4人の専門家の見解から、新型コロナウイルスを始めとする感染症発生の原因は、人間の自然破壊や都市化に伴い野生動物のゾーンを侵したため、ヒトと感染症のウイルスを持った野生動物との接触によるものであることが分かった。これからもウイルスは根絶することはなく、より強いウイルスが繰り返し発生するであろうことを考えると、過度な自然破壊や地球温暖化を防ぐために、改めてSDGs(国連加盟193か国の持続可能な開発目標)に関心を持つ必要があると感じた。SDGsの目的の一つにある「持続可能な世界」とは、人類による地球環境の保全と利用、消費と再生とがバランスを持ち、人と自然の共存を実現させることにあるが、五箇公一先生が主張される、人間社会と動物社会のお互いの生活圏を侵食しないゾーニングの重要性を、ウイルスからのリスクを避けるために、もう一度反芻しておきたい。
地球上に30億年前に出現したウイルスにとってみれば、20万年の歴史しかない人間は同じ地球に現れた新参者に過ぎない、ということを改めて肝に銘じておこう。

(2021年9月1日 嶋田良夫記)

<参考文献>

磯田道史『感染症の日本史』文藝春秋2020年、ウイリアム・H・マクニール『疫病と世界史 上・下』中央公論社2020年、山本太郎『感染症と文明-共生への道』岩波書店2020年、濱田篤郎『パンディミックを生き抜く 中世ペストに学ぶ新型コロナ対策』朝日新聞出版2020年

9.『加越能育英社創立140周年記念・石川富山明倫学館開館111周年記念特集号』発刊 ‼ ~50年余り前の学生寮生活を振り返って~

小石川にあった明倫学館および石川県学生寮(東京に進学した郷土出身者の寄宿舎として建てられた)が老朽化のため取り壊され、明倫学館跡地に2015年4月、2つの学生寮が統合のうえ「石川富山明倫学館」としてスタートした。
2つの学生寮の運営財団と2つの学生寮の統合事業完了を記念し、「学生寮の歩み」や「在寮時代の思い出」 などを掲載した記念特集号がOBの協力によって本年4月に発刊された。
そして、この特集号は石川県立図書館をはじめ県下の図書館に寄贈された。

私が石川県学生寮に入寮した1968年の頃は応募者多数の高倍率あったが、近年はそれ程でもないように聞いている。その理由は、コロナ禍でキャンパス立ち入りが制限されていること、大学が綺麗な学生寮を保有することになったこと、民間の学生寮が多く作られていること、等が影響してか、都心の好ロケーションにありながらコストパフォーマンスが低いからなのかもしれない。しかし、石川富山明倫学館のよさは、在寮生が同郷出身であるがゆえの安心感、在寮生がいろいろな大学に在籍、また4年間に亘る先輩・後輩の交流が兄・弟のように緩やかな関係で何ものにも代えがたい、等であり、会員のみなさまのご親族・ご親戚のご子弟に是非お勧めしたいと思う。新しい学生寮は、当時の3畳の和室・冷暖房なしとは比較にならない、Wi-Fi・冷暖房・机・ベッド完備の洋室(12平米)で申し分ないと思われる。

私も、この特集号に当時を振り返って寄稿しているが、改めて石川県学生寮にいた頃の4年間を思い出してみたい。

◇1968年

入寮時の1968年は、東京オリンピック後の60年代後半の高度経済成長の頃で、実質経済成長率が10%を超える右肩上がりの景気であり、国民総生産がアメリカに次いで世界2位になった。国民生活も豊かになり三種の神器(白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫)にかわり、3C(カラーテレビ、クーラー、自家用車)が多くの家庭に広まった。また、第2次マンションブームの頃で、学生寮近くの、都会生活を象徴するかのような憧れのマンション「小石川ハウス」が印象に残っている。

◇新入寮生歓迎コンパ

寮長先生も参加の上、新入寮生歓迎コンパが近隣の居酒屋で盛大に行われた。先輩方の大歓迎で美酒(?)を浴び、目の前の襖が踊る有様で大変なことになった。これが人生最初のお酒との出会いとなる。

◇寮祭

寮祭のメインイベントは、当時学生の間では異性交流の場として大流行のダンスパーティーであった。仲間と近くにあるお茶の水女子大学まで石川県学生寮主催のパーティー券を売り込みにいったが、人気のある慶應、青学、青短(青山女子短大)にはとても敵わず苦戦した。その結果、会場では殆ど男子学生がペアを組む有様であった。

◇大学受験ならぬ小学校受験

冬の明け方、学生寮前にある東京学芸大学附属竹早小学校の校門前には、受験申込みの父兄の長い列があった。今思えば、東京では既に大学受験ならぬ「小学校お受験」競争が始まっていたのであろう。

◇学生運動

入学当初から学費引上げ反対に始まる学生運動が激しく、キャンパスはアジ演説やセクト間闘争で騒々しい状況が続き、夏休みを過ぎた頃には断続的に休講が続いていた。そして遂にロックアウトとなり、あわや科目履修日数不足になるところであった。翌1969年1月19日全共闘や新左翼によって占拠された東大安田講堂の封鎖解除を機に、我が大学の封鎖も解除され、その後の授業再開によって辛くも留年を免れた。

◇当時の生活状況

帰省の折に家の中を整理していると、当時の生活を知る資料が見つかった。そこには、1ヶ月の生活費は、食事・入浴込みで1ヶ月6,000円の寮費に、その他生活費を入れて18,000円とあり、当時の経済状況が窺い知れる。

◇家庭教師のアルバイト

今に比べれば、アルバイトをする学生はそれ程多くなかったようであるが、友人の紹介で、高校受験を控える中学生の家庭教師を2年間行った。週2回、ご家族と夕食を挟んでの4時間のアルバイトであった。休日にはご家族と横浜中華街に食事に行くなど、温かいご家庭の雰囲気に触れることができた。受験結果は、生徒ご本人の努力の甲斐あって超難関の志望校に合格。あれからもう50年余りになるが、今でも交流が続いている。

◇海外の青少年との交流

世界青少年交流協会主催による海外の青少年との交流事業(1968年訪米、1969年・1970年独訪日、1971年訪仏)に参加したことが、その後の人生に何らかの影響を与えた。特に、訪米時寝食を共にした仲間とは50数年来の良き相談相手である。

◇人生の進路決定の場、そして生涯の財産

感受性豊かな4年間の学生寮での生活は、厳しくも優しい寮長先生のご指導、同郷の先輩や同僚との交流により、人生の進路決定の場となった。また、生涯の貴重な財産となった。

振り返れば、学生寮での4年間は、自由な時間を謳歌できる人生で一番楽しい時であったが、その時はもう戻ってくることはない・・・。

石川富山明倫学館開館111周年記念特集号

(2021年8月2日 嶋田良夫記)

8.人口減少社会到来のなかで、嬉しいニュース!
  ~人口減少の道府県の中で、野々市市が人口増となった市町村19位に~

7月17日付の日経(朝刊)1面トップに、2020年国勢調査の速報が掲載された。記事によると、人口が減少した38道府県の中で、87市町村が人口増加した。その中で野々市市が前回調査(2015年)比3.92%増加し、19位にランクアップされた。

野々市市のHPから、住民基本台帳の人口について、国勢調査基準日に近い2020年9月末時点の人口を、前回調査時の2015年9月末時点と対比で見てみると、野々市市の人口が1,894人増加(3.67%増)している。町別内訳は以下のとおりであるが、郷地区の増加が顕著で、その中でも郷町(+438人)、徳用(+295人)、三日市(+226人)、柳町(+194人)の増加が目立っている。その増加要因は、北西部土地区画整理事業や大型商業施設の誘致に伴う生活の利便性向上によるものと思われる。
なお現在は中林地区と西部中央地区が土地区画整理事業中である。

<町別人口の増減内訳>(単位:人)

地区

増減(%)

本町

△71(△0.52)

富奥

154(0.78)

1,414(15.37)

押野

397(4.32)

合計

1,894(3.67)

野々市市は東洋経済『データパック』編集部が発表している「住みよさランキング」で2年連続全国1位となっているが、「商業施設がそろう良好な買い物環境」、「子どもの医療費助成が受けられる」など、子育て世代が住みよい街としてあげられている。

新型コロナウイルス感染症の発生を機に、働き方が変化し、リモートワーク、デュアルワークが推進されるなか、首都圏とのアクセスが約2時間半圏内にある野々市市がますます賑わっていくよう期待したい。

(2021年7月20日 嶋田良夫記)

7.4回目の緊急事態宣言が発出されました!

 お世話になります。6月より新たに東京野々市会に参加させていただくことになりました炭谷です。自己紹介を簡単にいたしますと、昭和48年に生まれ(いわゆる団塊ジュニアの世代)で、太平寺4丁目に住まい、野々市小学校、野々市中学校を卒業、金沢の高校に進学し、関東の大学に入学するまで、住みよい太平寺で過ごしました。私が通っていたころの野々市小学校は超マンモス校で、1学年が13クラスもあったように記憶しています。

 現在、テレビ金沢(日本テレビ系列)の東京支社で営業部長として勤務しております。コロナ禍の生活スタイルの変容で、視聴率の低下、広告主の減少など仕事面では様々な課題がありますが、せっかくの東京生活を楽しむため、また、大都会東京で活躍されている地元野々市の諸先輩方とのつながりを持ちたく入会させていただきました。

 昨日(7月12日)、東京都では4回目の緊急事態宣言が発出されました。いまだ低い日本のワクチン接種率、緊急事態宣言下でのオリンピックの開催、そして度重なる「緊急事態」に慣れてしまった人々(私も含め)。そんな未曾有の状況下、東京で生活していることをある意味幸せと感じることができるよう、毎日をポジティブに(もちろん感染対策を万全に)過ごしたいと思っております。

 以後、宜しくお願い致します。

(2021年7月13日 炭谷憲志記)

6.会員のみなさまから活動アイディア募集中!
  ~コロナ禍における活動および会員数増加に向けて~

コロナ禍においてどのような活動をしたらよいのか、また会員を増やすには・・・。

6月20日、創立30周年記念事業準備委員会メンバーと新幹事がZoomを利用して意見交換を行いました。リアル活動ができないなか、Zoomを活用した企画について、みなさまからアイディアをお聞きしたいと考えていますので、是非ご意見をお寄せください。

1 コロナ禍における活動アイディア

(1)Zoomを活用した企画
 現在、周年事業準備委員会メンバーが適宜意見交換を行っていますが、会員のみなさまがZoomを活用して交流するアイディアを募集したく、以下の項目につきご意見をお聞かせください。
 ○希望するテーマ
 ○参加希望の有無
 ○参加可能な時間帯・曜日(午前・午後・夜、平日・土日)

(2)創立30周年記念の集い
 感染状況を見ながら、安心して開催できる時期を決定いたします。

(3)アウトドア活動企画
 感染状況を見ながら、「小石川植物園自然観察会」を実施する予定です。

2 会員数増加策

(1)PR媒体の充実による外部発信
 ○インスタグラムの立上げ(準備中)・・・外部発信による当会PR
 ○HPの充実・・・新鮮な情報発信、野々市市の魅力をPRしている各種団体の情報発信
           ~コラムへの寄稿をお願いいたします~
 ○HPの石川県人会HPへのリンク貼り換え
  石川県人会HP ふるさと会・同窓会<外部リンク>
 ○入会申込書の市役所市民課窓口(転出・転入窓口)・石川県人会窓口への備置(実施済)
 ○入会申込書を当会の活動状況が分かるように改訂(実施済)
  入会申込についてはこちら

(2)会員による勧誘活動の展開
 ○会員一人ひとりによる野々市小学校・中学校同期生への入会呼びかけ
  →入会申込書の使用

(2021年6月28日 嶋田良夫記)

5.コロナ禍を生きる ~過去の感染症から今を知る~

繰り返される「緊急事態宣言」にも拘わらず目新しい感染対策がないなか、今や一日も早いワクチン接種に頼るところであるが、磯田道史『感染症の日本史』(文藝春秋 2020年)から日本は過去に発生した感染症にどのように対処したのか見てみたい。

◇反復される感染症の歴史

感染症をおこす細菌やウイルスが根絶されることなく、同じように襲ってくる(ただ一つ根絶したのは天然痘である)。そして感染に伴う「差別」や「恐怖心」は今の世になっても昔と変わらない。
〇300年頃の崇神天皇即位5年目に列島で疫病が発生、〇奈良の大仏を建立した天武天皇の天平時代は天然痘が大流行、〇平安期は20年毎に麻疹流行、〇江戸時代の260年間で20年に1回のペースで麻疹が流行、〇1858(安政5)年ペリー艦隊の寄港によりコレラが発生、〇1918~1920(大正7~9)年にスペイン風邪が大流行するなど、感染症が繰り返し発生している。

◇感染症発生の原因

「牧畜」の開始とともにヒトと動物の濃厚な接触が増え、また「農業」の開始によって「定住化」が進んで「都市」ができるとヒト同士の接触により、以下のように感染症が頻繁に起こるようになった。
1750(寛延3)年頃から1780(安永9)年あたりにかけて、都市化に伴い「屋内での飲食」の形態が現われ、麻疹が大流行した。……「飲食の場での感染」
1858(安政5)年、ペリー艦隊の寄港によりコレラに感染した乗組員がいたため、コレラが発生している。……「水際対策の不備」
1918~1920(大正7~9)年のスペイン風邪は、神戸が貿易港のためヒトの移動・密集・接触の場が多く、流行の拠点になった。政治の要職にある総理大臣原敬、山縣有朋の感染は連日の会議や宴席が、大正天皇、皇太子の感染はイベントでの多くの人との接触がその原因ではないかといわれている。……「三密」

◇感染症に対する感染予防策

江戸時代岩国藩は、疱瘡が流行すると武士・領民に登城や外出を禁止し、城下から離れた特定の場所に強制隔離した。
1918~1920(大正7~9)年のスペイン風邪流行時には、政府もメディアも早期から「特別な伝染病である」と警告しておらず、イベントや営業の自粛、行動制限などの流行拡大のための予防対策は後手に回った。

◇感染症に対する支援策

江戸時代には、すでに「時短」「給付金」「医療支援」の制度があった。
岩国藩では強制隔離によって発生する費用や生活費が支給された。また、米沢藩の上杉鷹山は生活困窮者の洗い出しを行い、何回も手当てを出しており、さらに都市部と山間部の医療格差を問題にし、江戸から天然痘の専門の医師を呼び寄せ対策チームの指揮を執らせた。

以上、日本における過去の感染症の発生から、新型コロナウイルスを考える上で歴史的に参考となるのは、100年前に発生した「スペイン風邪」である。その発生時、国民や経済に負担を強いる行動規制はためらいが強く対策が後手に回ったために、何度かの流行の波に襲われ、感染終息まで2年に及んだ。その結果、日本本土で45万人、外地(朝鮮、台湾)を含めると74万人の犠牲者がでた。これは新型コロナウイルスによる国内死亡数(6月9日現在13,868人(「NHKニュース・防災」))とは比較にならない。

1年以上にわたるコロナ禍での学習によって、感染源を予測し抑え込むPCR検査の実施、基本的な感染対策の徹底、医療体制の整備に加え、ワクチンの早期接種が望まれる。
特にワクチンについては、海外で短期間に開発され感染予防の頼みの綱といわれているが、我が国の危機管理上、国内で開発・生産し、速やかに接種できる体制の確立が急がれている(2021年6月2日 日経(朝)3面)。

磯田道史『感染症の日本史』(文藝春秋 2020年)

(2021年6月10日 嶋田良夫記)

4.故郷の白山、野々市市お国自慢

私は「故郷」大好き人間です。生まれは旧郷村、野々市市の西、白山市に隣接しています。東京在住者の故郷会への参加は、郷小学校同窓会が最初で、大先輩の誘いで東京野々市会にも参加するようになりました。小学校は私の卒業時に廃校(昭和37年)になっており、この同窓会も高齢化で今は消滅しています。郷は「故郷」に通じる響があります。

自分を育てた故郷について、自分史講座でのエピソードがあります。何回かに分け、都度先生のアドバイスをもらいながら書き進めるのですが、第一回目作品は「小学校入学のころ」です。身近な白山をイメージして「海にも山にも近い純農村に生まれました」と書きました。返ってきた講評に「都会の喧噪の中で育つより、海にも山にも近いところで幼少期から小学校時代を過ごしたのは、いま考えると幸せなことだと思いませんか」とありました。先生の心温まる感想に乗せられて最後まで書き続ける力をもらいました。

本題は私の好きな白山のことです。実家の南側は田んぼの広がり、南東に白山、東に医王山が望めます。郷小学校校歌に「緑波うつ石川の」「朝日に映える白山の」と歌われています。加賀平野のどこからも見える素敵な白山ですが、自分が生まれたまちからの白山は特別です。帰省時に白山が見えると癒されます。四季おりおりの姿が楽しめます。

野々市を離れ半世紀あまり、ずっと田んぼは市街化調整区域だったので、遮るものもがなく白山がよく見えました。しかし、数年前から区画整理事業がはじまり、数年後はどんな風景になるのでしょうか。亡き母も白山が好きだったようで、入院したとき病院の窓から見た白山を病床メモに残していました。元気な時は、白山に向かって、また背負って農作業をしていたのでしょう。田んぼでの姿が目に浮かびます。ここからの稜線は穏やかです。

さて、「野々市市」は東京では知られていません。石川県でさえも富山県と位置関係がピンとこない人がいます。出身地を語る時は、野々市とは言えず、もじもじと金沢ですと言っています。金沢は誰もが知っている全国区、野々市市と言う時は「金沢の隣の」を付け加えないといけません。みなさんはどうされていますか?野々市市は経済誌の「住みよさランキング」で毎年上位にランクされています。これをネタにお国自慢しましたが、反応はもう一つでした。聞く方はイメージしづらいのかもしれません。

おわりに、『10年後の野々市市がどのようなまちであってほしいか』のアンケートに書いた応援団の勝手な願いを付記します。

*キーワードから重点を3つ選ぶ 

 ・自然環境:水と空気、白山の恵みを大事に

 ・子育て支援・教育:子供達を大切に。教育に先行投資。ものより人へ投資

 ・暮らしやすい住環境:野々市市の魅力は住みよさ

*活かしていくべき特性・特長

野々市市は狭いが、近隣の県都・文化の金沢市、自然豊かな白山市と連携して便利・快適な「コンパクトシティー」を。量より質の時代がきています。

医王山写真

(2021年5月31日 東与四朗記)

3.コロナ禍を生きる ~もう一つの『ペスト』を読んで~

昨年の1月15日に、国内で新型コロナウイルスの感染者が初めて確認されてから5月15日現在で、国内の感染者数が680,242人、死者数が11,490人(「NHKニュース・防災」)に達している。
この間「緊急事態宣言」が繰り返し出されたが、感染が収まらなく、またワクチン接種が始まったものの先行きのスケジュールが見通せない状況にある。そして、ついに石川県も「まん延防止等重点措置」の対象地域に追加された。

このような中、もう一つの『ペスト』である、ダニエル・デフォー『ペスト』の中に参考となるものがないか探ってみた。
ダニエル・デフォー(1660-1731)はロンドンで商人の子として生まれて、『ロビンソン・クルーソー』の著者として知られる。彼自身、商人であり、作家であり、ジャーナリストでもあった。

物語は、1664年9月初旬に隣近所の人たちと世間話をしていた際に、オランダで疫病(ペスト)がはやりだした、という噂を耳にしたことから始まる(1663年、オランダはこの疫病のためにひどい目にあっていた)。翌年、ロンドンで疫病の死者が目立ち始めたころ、デフォーは5歳であり、物語は、半世紀経った後に叔父の馬具商人ヘンリー・フォーから話を聞き、作中のH.F.をデフォーに見立てて、ロンドンで蔓延してゆく疫病の状況を観察記録として書き記したもの、とされる。
H.F.は、ペストから逃れ田舎に疎開すべきか、商売のためにロンドンに残るべきか思い悩み、「わが身の安全を計るあまり、自分の家を捨てて神の啓示にさからうようなことがあれば、神から逃げ出すことになるのではないか、たとえどこへ逃げようとも、神はその裁きのみ手をのばし給う」という神の啓示によりロンドンに留まることにした。

ロンドンでは、ペストによる最初の死者が出たのは1664年12月で、病毒のついたオランダからの輸入品を開いた者が感染したという。翌年の夏ごろから死者数が急増し、9月には週に1万人超が死亡したとされ、感染はシティの外側の特別行政区から、やがて商業の中心地シティの中へ、そして郊外へ広がり、当時人口50万人のロンドンでは年間10万人以上が犠牲となった。
――現在の日本国内の死者数と比較してもおびただしい数である。――

感染発生に伴い大部分の貴族や紳士階級は早々とロンドンを逃げ出し、残されたのは下級役人、貴族と紳士階級によって解雇されて行き場を失った奉公人や衣食住関係で生計を立てている人たちであった。
――日本国内において、現在感染リスクを抱えながら、人の命を救うためにひたむきに闘っている医療関係の方々、どうしてもリモートワークのできない方々、休業を余儀なくされている方々のことを十分心に留めておかなければならない。――

ロンドンの行政府は手際よくペストに対処した一方、感染者が出た家屋を封じ込めて脱出するのを管理したが、夜間の脱出等による健康人(今でいう無症状者、濃厚接触者)の移動に伴い被害が拡大していった。家屋閉鎖は法律によって定められたが、この主な目標は一般公共の安寧としているため、個人的な損害はすべて公益のために忍ばねばならないことであった。しかし、抜け出した者が感染源となりペストは蔓延し、感染者を特定できず効果はなく、この法律は疑問視された。
――日本において、感染源と思しきところに検査をして封じ込めるということが感染を抑えることになると、東京大学先端科学技術研究センターの児玉龍彦先生が予てから主張されているが、何故かなかなか実施されない。国民全員に実施することは誰しも実効性がないことは分かっているが・・・。もうこうなると、この1年で分かったこと、「飛沫感染」を防ぐための行動を各々が取るしかないであろう。また、経済的利益と国民の生命をバランスさせようとするあまり、感染対策が中途半端になって収束の目途が立たない状況が続いているのではなかろうか。――

路上で急死した人や、ペストに冒され閉鎖された家の窓から悲痛に叫ぶ状況、死体が野ざらしになっている様子、死体運搬の荷車が走り回る様子、気が狂ってテムズ川に身投げする者が急増していった状況が描写されている。また、この時期、いかがわしい運勢占いが大流行し、弱みに付け込む商売が行われていた。
――コロナ禍において、感染症を単なる肉体的な病気と捉えるだけでなく、併せて精神的な影響にも注目すべきではなかろうか。社会では心なき差別が発生しているように思えるが、厳に慎まなければならない。――

物語は400頁を超える長篇につき全体を丹念に読みこなすことができなく、コロナ禍においてヒントとなるところのエッセンスを列記した。当時はペストとも分からず、ましてやワクチンもない状況での、人びとの閉塞感はいかばかりか想像ができない。
改めて、ワクチン接種が行き渡るまで、気長に「飛沫感染」予防に努めた行動をとろうと思っている。

ダニエル・デフォー『ペスト』

(2021年5月16日 嶋田良夫記)

2.コロナ禍を生きる ~季節の移ろいを感じながら歩く~

まだまだ出口の見えないコロナ禍というトンネルの中で、毎日如何お過ごしですか?

コロナ前と変わったことといえば、外出時のマスク着用、フィズィカル・ディスタンスを気にすること、外食しなくなったこと、外出や居住圏を越える移動を控えるようになったこと等々で、気が晴れることがない。

唯一の気分転換は、毎朝のウォーキングで、五感を働かせ、いろんなことを考えながら歩いている。ソメイヨシノが散り始めた途端、八重桜や鮮やかなツツジが一気に咲きはじめ季節の移ろいを感じる。また、今頃はスピッ・スピッ・スピッと鳴くシジュウカラのさえずりが心地よい。

ウォーキングは、自宅から往復1時間かけて3か所の目的地(曹洞宗大榮山廣源寺、竹間神社、針ヶ谷氷川神社)を目指し、日替わりで行っている。

曹洞宗大榮山廣源寺は、川越街道沿いの三芳町藤久保というところにある。渋井(現川越市)にある蓮光寺の末寺で、藤久保の開拓着手時期にあたる1639(寛永16)年に、龍国呑海大和尚を開基として創建された。本尊に、釈迦如来坐像が安置されている。仁王像は山門に伽藍と仏様の守護神として置かれるのはよく見るが、ここ廣源寺のように本堂に置かれている様は珍しい。1872(明治5)年に学制が公布され日本の近代教育がスタートすると、その趣旨に基づいて各地で学校が開設され、1874(明治7)年には廣源寺に藤久保小学校が開設された。廣源寺は、三芳町の教育を語る際には欠かせない場所でもある。

竹間神社は、三芳町竹間沢というところにあり、新編武蔵野風土記稿(江戸時代後期の地誌)には「三十番神社」と記され、三十番神(法華経の守護神)の名称から日蓮宗と関連するとする説もある。1868(明治元)年の神仏分離令以降、祭神を八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)とし、後に竹間神社に改められた。末社に八雲神社が祀られ、境内には金毘羅大権現・根本山神社・榛名万行大権現・天満宮の石祠、庚申塔、大山石尊(不動明王像)、力石などがあり、天照大御神や素戔嗚尊が祀られている神社とは趣が違う。

針ヶ谷氷川神社は三芳町に隣接する富士見市針ヶ谷というところにある。創立年月日は不詳であるが、元禄年間に針ヶ谷村が川越領となり、現在の志木市にある舘村氷川神社を分祀し創設したとされ、祭神は素戔嗚尊である。1872(明治5)年、社格御制定の節に、古来より一村の鎮守であることから村社に列して、氏子の魂の寄り集う所として殷賑(いんしん)を極め現在に至っている。現在の社殿は1992(平成4)年11月に完成したものである。

以上、ウォーキングで訪れる自宅近隣の寺社について触れてみたが、ただ訪れるだけでなく、いろいろ調べてみるのもおもしろい。

会員のみなさまにおかれましては、取り組んでおられること、趣味、ライフワーク等々、テーマは自由ですので、是非会員コラムに原稿をお寄せください。

つつじ曹洞宗大榮山廣源寺
   咲き始めた八重桜やツツジ         曹洞宗大榮山廣源寺


竹間神社針ヶ谷氷川神社
        竹間神社               針ヶ谷氷川神社

(2021年4月12日 嶋田良夫記)

 

1.野々市を知る。~いしかわ観光特使として野々市のPRを考える~

「あなたのふるさと野々市って、どんなところ?」と聞かれてうまく答えられるだろうか。

一昨年母校OB会にて、いしかわ観光特使として故郷石川についてスピーチする機会があった。最初は、野々市について話をしたいと思ったが、結局石川を代表する街“金沢”をPRすることになった。帰省の折に観光案内のリーフレット等を収集したが、詳しい資料が少なかったので母校図書館にて参考文献を探しレジュメを作成した。

レジュメの内容は、(1)ちょっと金沢まで(金沢駅まで片道たった2時間半)、(2)金沢の起源、(3)加賀百万石の歴史的背景、(4)徳川幕府対策、(5)金沢の文化、(6)金沢ことば、(7)雨の金沢、(8)世界と日本が認めた金沢、(9)金沢観光スポット、(10)金沢観光のアクセス、(11)金沢の奥座敷、(12)金沢四季のイベント、(13)銀座で金沢を味わう(「いしかわ百万石江戸本店」「dining gallery銀座の金沢」の紹介)、(14)まとめ~金沢の魅力~。以上、金沢の起源、加賀百万石の凄さや百万石をなし得たと思われる理由を明らかにするため、a.利家は新天地開拓に果てしない夢をかけた、土豪の四男、b.利家の信長との出会い・秀吉との信頼関係、c.妻まつの大きな存在、d.うまくいった二代利長、三代利常への家督継承、e.徳川幕府対策(文治政策)等の切り口で深掘り説明。いつかこのように、野々市をPRできればよいなあと思いながら・・・。

さて、野々市市といえば、金沢市南西部に隣接する同市のベッドタウン。“2020住みよさランキング”の全国1位にランクアップされ、若者の人口が増加している。人口53千人(令和3年2月)、面積13.56平方キロメートル、一般会計予算190億円(令和3年度)のコンパクトな街で、市内には2つの大学(ロボコンで有名な金沢工業大学、石川県立大学)を有し、・・・と後が続かない。観光特使としては甚だ頼りなく、己の無知を反省している。

野々市の起源を辿ってみると、『野々市町小史』には、菅原道真公が元慶7(883)年神を祈って越洲社に向う時、野々市を通過せられたとの記述があるが、見解が分かれているようで、白山比咩神社が所蔵する『三宮古記』の、正和元(1312)年の条に「野市」と書かれているのが最初のようである(『ののいち歴史探訪』)。そして1488(長享2)年の加賀一向一揆によって富樫政親が敗北した後の戦国時代は、一向宗門徒による政治体制が確立して尾山御坊が建立されると、加賀国の中心地は野々市から金沢に移ることになるが(『ののいち歴史探訪』)、もし加賀一向一揆がなければ野々市は石川の中心地であり続けたのであろうか?・・・と思いを巡らせている。

野々市市ホームページ・トップページの一番上の帯 【みどころ情報】 をクリックし、さらに次のカテゴリー に進んで、<自然・公園><観光ガイド><歴史・文化財>等をクリックすると、それぞれの概要が網羅されている。また、野々市市発行「ののいちし文化財マップ」には60件に亘る文化財の説明がなされ、各々にアクセス(“のっティ”のルートとバス停No.)やMAP位置も記されているので、一度ご覧になっては如何でしょうか。

コロナ後には、これらの資料に併せ図書館に籠って詳しい資料を探してまとめてみようと思っているが、果たしてうまく行くか心許ないところである。

ののいちし文化財マップ

(2021年4月7日 嶋田良夫記)

2020(令和2)年度

12.“野々市を通る‼”~野々市市郷土資料館企画展をみる~

野々市市郷土資料館(本町三丁目、本町通り沿い)にて、本年2月25日(木曜日)から5月9日(日曜日)まで“野々市を通る!!”と題する企画展が開かれている。

館内では、加賀藩政期から交通の要として人や物資が往来し栄えた野々市の歴史が、「旅」をテーマに古代から近代までパネルや資料にて紹介されている。

野々市は北国上街道(京都に向かう金沢城から大聖寺までの約55km)の最初の宿場町で、京都方面へ向かう旅人の見送りや、金沢城下へ入る前の着替えが行われたとも言われており、今でも、街道沿いにある布市神社、照台寺、水毛生家、喜多家等の寺社・町家から当時が偲ばれる。

◇館内展示パネルの概要◇

<古代北陸道>
奈良・平安時代のころ、律令制が敷かれ、中央と地方を結ぶ道が整備された。そのうち現在の石川県を通る道は「古代北陸道(ほくろくどう)」とよばれ、野々市市内では徳用、三日市、稲荷の遺跡からその一部が見つかっていている。この官道は中央と地方の伝達のための役人や、税などの物資のみが通行していたとされる。

<中世の野々市>
中世の野々市は北陸を通る大道「北陸道」と、大野湊(金沢市)から白山本宮(白山市)を結ぶ「白山大道」が野々市で交差することから、交通の要であった。また、富樫氏は加賀国の守護所を置き野々市は政治経済の中心地となった。
中世の時代は、貴族や武士など、経済的に豊かな人々が旅に出ていたようで、長谷川等伯(1539-1610)の『等伯画説』によると、雪舟(1420-1506)が富樫氏のもとを訪れ、馬の絵を描くことを勧めたとされる。また、雪舟に同行した等春(等伯の父の師匠)がその後3年の間野々市に滞在したといわれている。

<江戸時代 旅の流行>
江戸時代になると、大名が地方と江戸を往復する参勤交代のための道が整備されたほか、社会経済が安定したことにより、娯楽としての旅が庶民の間でも生まれた。
旅をするときに、人びとは街道に沿って宿駅(宿場町)間の距離を目安に移動した。野々市は北国街道の宿駅の一つとして定められ、金沢から京都方面へ向かう最初の宿駅として賑わった。

<その他>
野々市の名所(富樫館跡、大公孫樹(おおいちょう)…布市神社境内、樹齢約500年)、旧藤村家住宅(本年2月26日付登録有形文化財に登録)とその後、明治天皇の北陸巡行ほか。

以上、野々市の旧北国街道を駆け足で知るにはよいパネル展であるので、機会あれば足を運び往時に思いを巡らせてみては如何でしょうか。

企画展1企画展2
企画展3企画展4
企画展5企画展6
企画展7企画展8

(2021年3月8日 嶋田良夫記)

11.御園小学校6年生、“旧北国街道にぎわい策”野々市市へ提案 !!
  ~北国街道にぎわい創出 子どもプロジェクト~

昨年11月1日付の会員コラムにて、野々市市立御園小学校6年生が旧北国街道のにぎわい創出に向けた提案に取り組んでいる旨を取り上げた。その後、本年12月14日(月曜日)、にぎわいの里カミーノ1F大ホールにて、同校6年生(20チーム103名)により野々市市に対し“北国街道にぎわい創出 子どもプロジェクト”の提案がなされ、その資料や成果物が、2月20日(土曜日)~3月9日(火曜日)の間、カミーノ1Fエントランスにて展示されている。
提案された内容は、子どもたちの目線で考えられたもので、実現性のあるものが多く含まれているように思われ、野々市の将来を担う子どもたちの発案に是非答えて欲しいものである。

<北国街道にぎわいに向けた創出(アイディア)>
〇新商品をつくる(食べ物…キウィクッキー・パフェ、米の団子、グッズ…椿のキーホルダー・椿の石鹸等)、〇北国街道バスの走行(ボディにイラスト、老人運賃無料)、〇歩行者天国、〇イルミネーション(街道に提灯や和傘で明かりを灯す)、〇街道祭り、〇足湯、〇ダイレクションボード、〇プロジェクションマッピング、〇マスコットキャラクターの設置(人の集まるカミーノ近くに150cm大のマスコット配置)、〇スタンプラリー(景品に ”NONOICI 1の1” の商品を使う)
以上の子どもたちの提案から、食、明かり、祭り、遊び、寛ぎをヒントに人の集う宿場町であった野々市の“市”の再現ができれば、再び北国街道に賑わいを取り戻すことができるのではなかろうか。

子どもたちにとって、小学校最終学年期に総合的な学習の時間の生きた教材として地域の賑わい策に取り組み発信できたことは、これからずっと記憶の片隅に残ることでしょう。
また、このプロジェクトの立上げと子どもたちの指導に力を注がれた、吉野智晴先生が「教師である前に、野々市市民として『市民協働』を大切に、授業を展開していきたい。」と述べられていたのが印象的であった。

にぎわい策1にぎわい策2
にぎわい策1にぎわい策4
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(2021年3月3日 嶋田良夫記)

10.コロナ禍を生きる~アルベール・カミュ『ペスト』を読んで~

世界の新型コロナウイルスの感染者数が1月27日、1億人を超えた(1億28万6,643人、人口の1.29%)。日本での感染者数は1月27日、37万3,868人(人口の0.3%)、石川県は1,442人(同0.13%)、野々市市では68人(同0.13%)になっている。
昨年1月15日に中国・武漢から帰国した男性の新型コロナウイルス感染者が確認されてから1年あまりが経過した現在も、依然として日々多くの感染者が発生している。また、ウイルス封じ込めに期待するワクチンの供給時期も未定で感染収束が見通せない状況にあり、忍び寄るウイルスに不安を隠せない。

このような状況下、閉塞感を感じながら生きており、未知のウイルスとどう向き合えばよいのか、その手がかりを探ろうと、世界的ベストセラーとなっている、アルベール・カミュ『ペスト』を手にとってみた。日頃小説を読まない私にとって、この長編小説は難解であったけれども、行動変容が求められるコロナ禍でどのように生きて行くべきか改めて示唆を与えてくれた。

小説は、「この記録の主題をなす奇異な事件は、194X年、オラン(アルジェリアの要港)に起こった。通常というには少々けたはずれの事件なのに、起こった場所がそれにふさわしくないというのが一般の意見である。」と始まる(オラン:アルジェリア海岸におけるフランスの一県庁所在地で、みすぼらしい、平穏で、鳩もおらず、樹木も庭園もない、鳥の羽ばたきにも木の葉のそよぎにも接することのない、一個の中性の場所というような町)。
地中海に面した仏領アルジェリアの都市オランで、おびただしい数の鼠の死骸が発見され、それに呼応するように人びとは熱病に冒される。患者の症状から医師リウーは、刻々拡大する熱病の伝染を阻止するため、対策をとるよう行政や市の医師会に働きかけるが、どちらも決断できないまま時間が過ぎて行く。
初動に遅れたオラン市は、感染者が増え続け、とうとう封鎖に追い込まれて、市民は市外へ逃れることが許されず、ペストに怯えながら日々を過ごす。この混沌とした状況で、医師リウーはその友人タルーとともに熱病と闘うことになったが、感染蔓延の状況で、リウー一人ではどうにもならずボランティアの保健隊を結成した。市の外に恋人を残していた、この町に無縁の新聞記者ランベールは門外へ逃れることを計画していたが、リウーの誠実な闘いに心を打たれて脱出を断念し保健隊に加わる。後にパヌルー神父も、一人の少年の死に直面してから神を信じない医師リウーと信条を超えて保健隊に入り助け合う。
やがてペストは収まり、門は開けられ開放感のあまり歓喜する市民、一方別離であらゆる喜びを失い心の中ではなおペストが続いている市民がいた。そしてペストと奮闘し続けたリウーは安堵する間もなく、門外の遠隔地で結核の治療を続けていた妻の死の知らせを受けた。
しかし、ペストは終息したかに見えたが、人間に不幸と教訓をもたらすためにペストが再来するであろうことを医師リウーは知っていた。-THE END-

この作品で印象に残った一つは、医師リウーはペストと闘う極限状態の中でも「ペストと闘う唯一の方法は誠実さ」で、「誠実さとは自分の職務を果たすことだ」と語っているところである。医師リウーの医師として職務を果たす義務感を強く感ずる。それにしても、ペスト収束後に人間の尊厳をかけて最前線で闘ったリウーに待ち受けていたものは、最愛の妻の死の知らせであり、何とも残酷で切なさを感じた。人生の不条理としかいいようのない出来事であった。コロナ禍において、我々がなすべきことは、感染予防のために求められている行動を心新たに徹底して守るべきではないか、と思っている。しかしながら、日常の行動変容により人と人とのつながりは減り、またリアルからバーチャルへと変化し、段々と人との関わりが希薄になっていく懸念があるが、即座には答えがみつからない。

また、もうひとつは、市の外への逃れることを計画していた新聞記者ランベール、そして「ペストは神からでたもので、この災禍は罪を犯した懲戒的なものである。神を全て信ずるか、さもなければすべてを否定するかである。」と異端すれすれのところまで迫っていたパヌルー神父が、罪なき少年の死をきっかけに、献身的にペストと闘う医師リウーの姿をみて、神を信じないリウーと信条を超えて連帯して保健隊で闘ったところである。今も医療の最前線で闘っている人たちのことを重ね合わせて思うと、我々一人ひとりが「コロナに慣れることなく、ウイルスに正しく恐れることを身につけ、感染しない、感染させない」行動をとることが社会への連帯につながって行くだろう。

最後に注目したのは、医師リウーが「ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもできないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろう。」というペスト菌の不滅性を知っていたところである。いみじくもWHOで感染症の危機対応を担う進藤奈邦子シニアアドバイザーが「ワクチン接種が進んでも、収束には疑問が残る。ワクチンで重症化は防げても、感染自体は防げないかもしれない。密が進めば、感染が再び広がるかもしれない。感染症対応には地道さが必要である。」と警鐘を鳴らしている(2021年1月27日朝日9面)。また、「コロナを甘く見ないでください。」(日本医師会 中川俊男会長)という発言も心にとめておこう。

以上、作品からは、感染拡大の一途をたどる中での人々の感情変化をコロナ禍と重ね合わせて読み取ることができました。しかし、難解で読みこなせないところが多くあり、すでにお読みの会員には、お気づきの点についてご教示いただければ幸いです。1年を超える長丁場の闘いで息苦しく感じるところでありますが、それぞれの状況に応じたペースで走り続けましょう。

カミュ「ペスト」

(2021年2月1日 嶋田良夫記)

9.「ふるさと石川」を応援しよう!~首都圏いしかわ交流推進委員会からのお知らせ~

長引く新型コロナウイルス感染症の感染拡大で、2月開催予定の「いしかわ百万石の集い」が中止となりました。
つきましては、このたび会場でご紹介する予定であった石川県の観光やビジネス等のリーフレットが送られてきましたので、ご案内いたします。首都圏は緊急事態宣言下にあり外出が難しいと思われますので、ジャスト・インフォメーションでお伝えいたします。

<石川県のふるさと納税のご案内>
いしかわの魅力のPRや、県内の生産者・事業者の皆さんの支援につなげるため、今年度から、「いしかわ百万石物語・江戸本店」とタッグを組んで、ふるさと納税のお礼の品として、石川県の特産品をお贈りしています。
【問い合わせ先】石川県県民文化スポーツ部県民交流課 TEL:076-2251361

~野々市市のふるさと納税もお忘れなく!~  野々市市ふるさと納税についてはこちら<内部リンク>

<石川県アンテナショップ「いしかわ百万石物語・江戸本店」リニューアル1周年!>
1周年を迎えることを記念して、3月の1カ月間記念祭を開催します。石川の魅力ある食文化や伝統工芸を堪能できます。
【石川県アンテナショップ「いしかわ百万石物語・江戸本店】 TEL:03-5579-5890
※パンフレット記載の電話番号に誤りがありました。上記が正しい電話番号となりますのでご注意ください。

<地元いしかわのブランド農林水産物を応援してください!>
石川の魅力あふれるブランド農林水産物をご賞味ください。
【問い合わせ先】石川県農業政策課ブランド戦略推進室 TEL:076-225-1614
◇ルビーロマン◇
石川県が14年の歳月をかけて開発したブドウで、石川県でしか栽培されていません。甘くてジューシーで美味しく、巨峰の約2倍の大きさで、鮮やかなルビー色の「夢のブドウ」です。
出荷時期は7月中旬から9月下旬頃。
◇ひゃくまん穀◇
石川県が9年の歳月をかけて開発し、2017年にデビューした米の新品種で、大粒で食べごたえがあり、冷めても美味しいことが特徴です。ローソンのプレミアムおにぎり“金しゃりおにぎりシリーズ”として販売されています。
◇百万石乃白◇
石川県が11年の歳月をかけて開発した酒米の新品種。すっきりした味わいとフルーティーで香り高い日本酒を造ることができる大吟醸に最適のお米です。百万石乃白を使った日本酒は「いしかわ百万石物語・江戸本店」で購入できます。

<オーケストラ・アンサンブル金沢 第37回東京定期公演>
日時:2021年3月22日(月曜日) 会場:サントリーホール
曲目:ベートーヴェン 交響曲台6番へ長調Op.68「田園」 交響曲第5番ハ短調Op.67
料金:S 7,000円、A 6,000円、B 5,000円、C 3,000円(2021年2月22日一般発売予定)
【問い合わせ先】石川県音楽文化振興事業団 TEL:076-232-0171

<いしかわ・金沢 風と緑の楽都音楽祭2021>
オーケストラ・アンサンブル金沢のほか、国際的に活躍する一流のアーティストや地元のアーティストらが出演し、県内各地の会場で公演を行うクラシックの祭典です。2021年は「南欧」にスポットを当て、イタリアの華やかなオペラの楽曲をはじめ、南フランスやスペインの音楽を中心にした公演のほか、「能」とクラッシック音楽の競演や、県内の子どもたちが参加するコンサートなど、石川県ならではの魅力的な公演を予定しています。
日時:2021年4月28日(水曜日)~5月5日(水曜日・祝日)
会場:石川県立音楽堂、金沢歌劇座、しいのき迎賓館など
【問い合わせ先】いしかわ・金沢 風と緑の楽都音楽祭実行委員会事務局 TEL:076-232-8113

以上、概要ですが、その他詳細は石川県観光戦略推進部観光企画課 TEL:076-225-1542 へお問い合わせください。

リーフレット1リーフレット2
リーフレット3リーフレット4

(2021年2月1日 嶋田良夫記)

 

8.コロナ禍のBig Apple in Nonoichi

毎年11月が近づくとそわそわしてくる。そう、11月の3連休に毎年開催されるBig Apple in Nonoichiが今年もやってくる!と思いきや、2020年1月からのCOVID-19の蔓延で、海外からのゲストミュージシャンが来日できなくなりました。6月ごろから感染が落ち着き始め、なんとか開催できるのかなぁと思っていましたが、Go Toの影響なのか第二波がやってきて今年の開催は無理かもと、遠方神奈川から想いを馳せていました。私は学生時代からBig Bandでトランペットを吹いていたので、2002年まで仕事の関係で金沢に住んでいた頃、野々市市のムーンライトジャズオーケストラ(MJO)で10年間活動しました。転勤でやむを得ず神奈川に来て、こちらで活動を続けていますが、親しかったMJOとBig Apple in Nonoichiは外せません。結局、毎年本番前日にお邪魔して、皆さんの演奏に迷惑をかけないよう、こっそりとステージに立たせていただいています。神奈川のバンドも当然4月から練習は中止。本来でしたら様々なイベントへの参加や自主リサイタルなど発表する場を設けていますが、今年は全て中止。個人練習を9月から再開したもののモチベーションは下がりっぱなし。そんな中、10月に入ってMJOから「今年もやるで!寺ちゃん、待ってるよ!」とのお誘いが…。

もちろん、いつもならニューヨークから素敵なゲストをお呼びするのですが、今回は国内のミュージシャンに参加いただきました。観客は大幅に座席数を制限し全席指定席方式に。会場入り口では検温(もちろん私たちスタッフも毎日検温)、演奏中は非常口を開けて換気の徹底などなど。色々な制限の中、満席となったお客様の前で演奏できたことは、暗い2020年で最高の出来事でした。

年末からの感染悪化で2021年夏のオリンピックの開催も危ぶまれていますが、是非11月には落ち着いた環境でBig Apple in Nonoichiをやって欲しいですね。今年も行きまっせ!

ビックアップル

(2021年1月15日 寺田光寛記)

7.2021東京野々市会 ~会長からのメッセージ~

あけましておめでとうございます。“Staying at home”で、お健やかに2021年をお迎えのことと存じます。

一昨年12月31日に中国武漢市で原因不明の肺炎患者が発生し、1月14日にWHOが新型コロナウイルス感染症と確認しました。その後、新型コロナウイルスは国境を越えて瞬く間に広がり、世界が一変しました。感染はいったん勢いが収まっても、各国で再流行が繰り返され、先が見通せない状況となって、日本国内では12月21日に20万人を超え、また世界においても8,000万人(12月21日現在7,682万人)を超えようとしています。昨年は、コロナ禍において人々は行動変容を求められ、まさに形が見えない新型コロナウイルスに翻弄された一年でした。

一方、明るいニュースとして、11月16日野口聡一さんが搭乗する米民間宇宙船1号機の打ち上げの成功がありました。宇宙の商業利用が本格化する始まりとして注目されており、日本人がそのスタートに搭乗したことは嬉しく思います。野口さんらはこの1号機に、新型コロナウイルスの感染拡大など困難な状況に打ち勝つという意味を込めて、“Resilience”(「回復する力」)という船名をつけています。

また、12月6日、世界で初めて小惑星「りゅうぐう」内部の岩石採取に成功した日本の探査機「はやぶさ2」が帰還しました。カプセルの中に、太陽系の成り立ちや生命に迫るヒントが含まれているか、今後の分析が注目されます。

昨年は、当会のビッグイベントである「創立30周年記念の集い」は、感染拡大のため7月4日から1月30日に延期しました。しかし、感染が収まらないなか感染リスクを抱えながらの開催は好ましくなく、安心して楽しく開催できるまで無期延期することといたしました。また、10月16日の「いしかわ県人祭 in 東京」、11月28日の「野々市市ふるさと交流会in東京」が相次いで中止となり、会員のみなさまと顔を合わせる活動が全くできませんでした。

今年は、暫くはインドアでの活動がなかなか難しい状況ですが、感染状況をみながら春先もしくは秋口にアウトドアでの活動を企画したいと思っております。感染予防のため、「密」とならないような穴場を探して実施したいと考えております。活動に関してオツなアイディアがありましたら、みなさまからの情報提供をお待ちしています。

併せて、コロナ禍の状況が続くなか、ホームページの会員コラム欄を利用して、会員相互の情報交換を行いたいと思いますので、是非みなさまからの多くの寄稿をお願いいたします。

今年、11月11日には野々市市が「市制10周年」を迎えます。当会としては、「野々市応援団」として我が故郷を更にPRし、盛り上げて行きたいと思いますので、みなさまお一人おひとりの口コミによる、更なる会員勧誘をお願いいたします。

今年は一年延期となったオリパライヤーでもありますので、一日も早い感染の収束を願うとともに、みなさまがこの一年お元気でご活躍されますようお祈り申しあげます。

 

(2021年1月1日 嶋田良夫記)

6.2021アウトドア活動プラン〈1〉

先日、学生の頃にいた石川県学生寮界隈を散策し、その近くにある小石川植物園に行ってきました。都心の穴場と思いきや最近はそうでもなさそうで、日曜日であったこともあり子連れの家族が目立ちました。園内を小一時間散策、自然豊かで都心にいるのを忘れるくらいくつろぐことができました。

小石川植物園は、東京大学大学院理学系研究科の附属施設で、正式名称は「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」といいます。1684(貞享元)年に徳川幕府が設けた「小石川御薬園」が前身といわれ、1877(明治10)年、東京大学が設立された直後に附属植物園となり一般にも公開されてきました。面積は161,588平方メートル(48,880坪)で、台地、傾斜地、低地、泉水池などの地形を利用して様々な植物が配置され、植物学の研究・教育の場となっています。園内各所では一年を通して植物観察ができ、1月のカンザクラ、サザンカ、ツバキ、ヒイラギ、ロウバイに始まり、12月のイロハモミジ、カンボケ、センリョウ、ビワ、ワジキギク等々に至るまで開花を楽しむことができます。

今年は、コロナ禍でなかなかリアルな活動ができませんでした。来年は、野外での活動を計画しており、小石川植物園での自然観察会(仮称)を候補の一つと考えています。感染状況を見ながらですが、現時点で以下のとおり計画しています。最終決定後に改めてご案内します。また、会員のみなさまにおかれましては、ここぞというスポットがありましたら、是非ご連絡ください。

<アウトドア活動プラン>

  1. 時 期:2021年5月15日(土曜日) 11:00AM 地下鉄東京メトロ 茗荷谷駅集合
  2. 行き先:小石川植物園(茗荷谷駅から徒歩15分)
  3. 内 容:園内1時間程度散策、園内で軽食。歓談後、1:00PM頃解散。

小石川植物園小石川植物園
小石川植物園小石川植物園
小石川植物園小石川植物園

 

(2020年12月10日 嶋田良夫記)

5.御園小学校6年生、“旧北国街道のにぎわい策”提案

野々市市立御園小学校6年生103人が旧北国街道のにぎわい創出に向けた提案に取り組んでいるという新聞記事を見て、学年主任の吉野智晴先生にお話を伺った。

同校では昨年より「『野々市市の魅力』を総合的な学習の時間に取り上げられないか」を考え、金沢市と比較して旧北国街道および御経塚遺跡のフィールドワークならびに末松廃寺の資料調査を行ってきた。しかし、児童たちがあまり野々市市に参加していないのではないかという問題意識を持ち題材を探しているところ、北国街道にぎわい創出プロジェクトの存在を知り、今年度から北国街道にぎわいに向けた提案活動に取り組んできた。

児童たちは、ののいち里まち倶楽部、市役所および本町住民の方の協力を得て、本年12月の提案に向け取りまとめている。6年生は3クラスあるが、各クラス7班からなるチーム編成で取りまとめ、学内選考のうえ野々市市に提案する予定である。

現在の本町地区の旧北国街道は江戸時代に町家や農家などが建ち並び、宿場町として栄えた。遥か振り返れば、1580(天正8)年3月9日に加賀一向一揆勢が討伐を加えられ、その拠点であった野々市は焦土と化したが、元住吉神社の氏子達が同社に並行して東西細長く寄集して一集落をつくった。そこでは、在来の布の市を東端は一日、西端は六日に開いたとされる。その後、八幡神社の氏子が西端に隣接するところに西町をなした。旧北国街道沿いの集落を一日市町、中町(東端と西端の中央)、六日町、西町(現本町2丁目から4丁目)とし(「野々市町小史復刻版」野々市町(平成2年3月21日)12頁)、現在の本町通りに至っている。当時の旧北国街道沿いのにぎわいが窺われるようである。

昭和50年代に入ると郊外型大型店の出店により本町通り商店街の商店が減少し、これに伴い人の流れが変わり、旧北国街道沿いのにぎわいは段々と薄れていった。

街道沿いの活性化には、商店の復活、空き家の利用、近隣の大学生を呼び込める仕掛け等により人の流れを街中に回帰する必要があると思われ、『にぎわいの里ののいち カミーノ』を中心とする取り組みは一つのヒントを与えているようにみえる。

吉野智晴先生は、今回の取り組みによって、児童たちを「野々市市民としての誇りをもち、『野々市の魅力』を自信もって伝えられる子」、また、「今後の『地域の活性化に貢献』しようとする子」に育てて行きたいと述べられている。

次代を担う御園小学校6年生の、子どもたちの若い視点での提案が興味深く、我々おとなでは思いつかない提案が出されることを期待している。

市内フィールドワーク①市内フィールドワーク②
旧北国街道のフィールドワークをする御園小学校6年生

布市神社照台寺
 布市神社                     照台寺

水毛生家喜多家
 水毛生家                     喜多家

郷土資料館
 郷土資料館

 

(2020年11月1日 嶋田良夫記)

4.石川県高校新聞コンクールで、明倫高校「優秀賞」受賞

本日の北國新聞デジタル版によると、第69回石川県高校新聞コンクール(県高文連新聞部、北國新聞社主催)で野々市明倫高校が10校の中から優秀賞に選ばれた。昨年の第68回の優秀賞に続いての受賞となった。

最優秀賞に選ばれた金沢泉丘、金沢二水の2校と、優秀賞3校のうち最も優れていた野々市明倫高校が、来年7月に和歌山県で行われる全国高校総合文化祭の新聞部門参加校に推薦される。全国高校総合文化祭は全国高校総合体育大会(通称:インターハイ)に対比して、「文化部のインターハイ」とも呼ばれる。

明倫高校新聞部は「学校を元気に」をモットーに8人で放課後活動している。同校は1982年10月15日の設立で、令和元年度卒業生は、国公立大学の現役合格者数が91名と、目覚ましい進学実績をあげている。

いずれの学校も会員の中には母校とされる方も多いと思われ、嬉しいニュースで、母校を振り返ってみられては如何でしょうか。

明倫高校

 

(2020年10月15日 嶋田良夫記)

3.国の重要文化財「喜多家」、野々市市が譲り受け

本日(8月30日)の北國新聞電子版によると、野々市市は、市内唯一の国重要文化財である「喜多家住宅(喜多記念館)」(本町3丁目、本町通り)を譲り受け、10月1日から常時公開することとなった。

これまでは首都圏に住む現当主が一人で管理し、観光案内を切り盛りしてきたが、先行きの保存管理を考慮して市が引き取り有効活用する。

喜多家は越前出身の武士で、江戸時代中頃に野々市に移り住み、菜種油の製造を行い、幕末の嘉永期頃に「油屋」を名乗っていた。明治時代に入ると酒造業を始め、戦時中一時中断、1950(昭和25)年頃に再開し、1975(昭和50)年頃まで営んでいた。酒の銘柄は、大正時代より「猩々」「大白瀧」「志ら瀧」「古酒」など、数種の日本酒を製造販売していたが、最後まで造られていたのは、「猩々」だけである(野々市市「北国街道まちづくり基本構想」令和2年3月、20頁)。-「猩々」は、古典書物に記された架空の動物を能の演目である五番目物の曲名「猩猩」として有名であり、「猩々」の銘柄はそこからとったものと思われる-

現在の主屋は、1891(明治24)年に野々市の大火により焼失したため、金沢市材木町にあった醤油商田井屋(タイ惣)の家を移築したものである。1971(昭和46)年、金沢市内には現存しない金沢町家の最高の家屋であることから、国重要文化財に指定された。また、主屋北側の酒造施設は、明治時代からの酒造業の原型を残していることから、2019(令和元)年に国重要文化財に追加指定された(野々市市「北国街道まちづくり基本構想」令和2年3月、20頁)。

野々市にいた頃は、年の瀬に正月用のお酒として「喜多さん」までよく買いに行かされたものである。その頃は量り売りであった。

会員のみなさん、帰省された折に、是非一度足を運ばれてみては如何でしょうか。

喜多家

 

(2020年8月30日 嶋田良夫記)

2.野々市が「住みよさランキング2020」の全国1位に!

東洋経済「都市データパック」編集部が1993年から発表する“住みよさランキング”の総合評価で、野々市が何と2020年1位となった(2019年3位)。
コロナ禍で気が晴れないなか、明るいニュースである。

このランキングは、自治体ごとに「利便度」、「安心度」、「快適度」、「富裕度」について偏差値を算出し、その平均値を総合評価したもののようである。

なかでも安心度(病院数、介護老人福祉施設数、若い女性の人口当たりの0~4歳児数、犯罪件数、交通事故件数ほか)が他の自治体より際立った結果とある。若いファミリー世代を中心とする人口増加がその現われである。

2位の、都心でありながら住宅が6割を占める文教の地・東京都文京区、3位の武蔵野市を抜いての1位であるから、その住みよさは首都圏の方には想像できる。

いずれにせよ「住みよさランキング1位が我が故郷」と誇らしげにPRしたい。

 

(2020年6月30日 嶋田良夫記)

1.東京野々市会創立30周年に際して

平成2年2月25日に発足した東京野々市会が、なんと30周年を迎えました。

東京野々市会の軌跡を辿ってみますと、これまで関わられた多くの方々(東京野々市会・野々市市(町)役所(場))の熱い思いと不断の努力があったことと察せられます。

東京野々市会創立は、昭和から平成にかけてのいわゆるバブル経済の中で行われた「ふるさと創生事業」の一環として推進されたと記憶しています。

当時は、今と違いインターネットや情報誌などでふるさとの町の様々な情報発信が中々行えなかった時代でした。

発足当時は都市部と地方の格差(交通・文化施設など)がまだまだ開いていたため、町の魅力作りと格差解消などに役立てるため「ふるさと創生事業」が発案されたと聞いています。

東京野々市会は「出会う、知り合う、語り合う、食べあう」をテーマとし、会員相互が和やかに会えることを目的とする事業でもあります。

また、発足以来、年一度の総会では必ずその時の市長(町長)から市(町)勢報告が行われてきました。この30年間の市(町)の発展は、目を見張るものがあります。

市(町)の発展の報告に接するたびに野々市出身者として大変嬉しく、また心強く思っています。

東京野々市会が30年の長きにわたって継続していることはまことに感慨深い事であり、今後の更なる発展を心から願うものであります。

 

(2020年4月1日 塚光雄記)

2019(令和元)年度

7.サンフランシスコ通信

皆さまこんにちは!前回投稿した「Kiyomisax In San Francisco」では、私の簡単な自己紹介をいたしましたが、今回はメインでありますサンフランシスコ通信をお届けいたします(^^)
こんな時こそ、少しでも明るい話題を、、!と思っております。


まずは簡単にサンフランシスコについてご紹介いたします♪広大な自然と穏やかな気候、そして世界中の文化が融合した個性あふれる街並みが魅力の街です。19世紀のゴールドラッシュで大発展を遂げ、現在でも芸術やファッションの発信地として世界中から観光客が訪れています。
市内の住宅街は色とりどりのビクトリアンハウスというアンティークな建築で統一されており、ヨーロッパの街並みの様な美しい風景が楽しめます。

ビクトリアンハウス1ビクトリアンハウス2

 

続きまして、こちらはサンフランシスコ市庁舎。お城のような美しい建物なので週末にはこちらで結婚式を挙げられるカップルもたくさんいらっしゃるそうですよ(^^)

サンフランシスコ市庁舎サンフランシスコ市庁舎2

 

こちらはチャイナタウン。北米で最古、最大級の規模を誇っています。中国にいるかのような雰囲気で本格的な中華料理を味わうことが出来ます。

チャイナタウン1チャイナタウン2

 

続きまして、こちらはケーブルカー。サンフランシスコは、坂道がたくさんあるとても珍しい地形をした街なのでケーブルカーが大活躍。観光客にも大人気で、いつも始発の列車には観光客の行列ができています。サンフランシスコの風に吹かれながら海に向かって下っていく景色は最高です。

ケーブルカー

 

 

最後に、こちらはゴールデンゲートブリッジ。サンフランシスコ湾にかかる全長2.7kmの吊り橋です。朱色に鮮やかにそびえ立つこの橋は、霧の街と呼ばれるサンフランシスコの遠くからでも認識でき、街のシンボルとなっています。

80年以上の歴史を持ち、観光地としてはもちろん、交通の要としても重要な存在です。見る場所により、見え方が異なり、色々な一面を見せてくれます。

ゴールデンゲートブリッジ


気候は、太平洋に面し西岸海洋性気候に属しているため1年中温暖な気候に恵まれています。夏の平均気温は20℃ほど、冬は10℃前後。雨も少なく非常に過ごしやすい街として知られています。ただ、サンフランシスコは「霧の街」と称されることがあり、海流の影響により特に7月から8月にかけて朝夕は深い霧が発生することがあります。

日本からサンフランシスコへは飛行機の直行便が毎日運航しています。フライト時間は成田から約9時間半。サンフランシスコ国際空港はアメリカ国内へもアクセスしやすく西海岸の玄関口となっています。日本との時差は17時間で、サンフランシスコの方が遅れています。サマータイム期間中の時差は16時間です。今月よりサマータイムになり1時間早く時計をセットし直しました。


続きはまた観光地後編をお届けいたしますね(^^)

 

(2020年3月24日 作田聖美記)

6.過ぎ去った卒業式。

過ぎ去った卒業式1過ぎ去った卒業式2過ぎ去った卒業式3過ぎ去った卒業式4

新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、各地で大規模な卒業式を自粛する状況にある。

私事になるが、卒業式を振り返ってみると、小学校、中学校、高校の卒業式の記憶が全くない。また大学に至っては、学生証と引き換えに学位記を受け取るという、何とも味気ないものであった。

卒業式の記憶はないが、昭和36年3月、今はなき旧野々市小学校の表玄関前での、同級生6名で卒業証書を両手で広げた記念撮影は何かしら覚えている。4月から始まる中学生活に、期待と不安が入り混じる気持ちであったのであろう。

今朝、野々市市内でウオーキング中、野々市小学校の前を通り過ぎると、「第58回卒業証書授与式」の立て看が目に入った。
あっそうか、昭和36年3月は旧野々市小学校の最後の卒業式だったのである。懐かしさのあまり、旧野々市小学校跡地にあるカミーノまで足が向いていた。そこには校庭に立っていた松の木が移植されており、当時の木造校舎や運動場の情景が蘇ってきた。式の記憶は飛んでいるが、節目にあるときの記憶は残っているものである。


(2020年3月19日 嶋田良夫記)

5.オリパライヤー 2020年を迎えて

オリンピック・パラリンピックを学ぶ(岩波ジュニア新書)

こんにちは。昨年から東京野々市会のメンバーに加えていただきました後藤光将です。野々市で生まれ,高校時代まで野々市で育ちました。現在は東京の明治大学に勤めています。体育実技授業のほか,スポーツ文化論などを担当しています。

研究の専門は,体育・スポーツ史です。明治から昭和初期の日本テニス史研究で2005年に学位を取りましたが,その後はテニス史のほかにも,オリンピック史やオリンピック教育などに取り組んでいます。

私がオリンピックに取り組み始めた数年後に,東京都がオリンピック招致に名乗りを上げました。それからの東京都は2度の招致の失敗と成功,そして,今夏の開催へと向かっています。私は,国際平和や異文化理解といったオリンピックの理念(オリンピズム)に共感し,様々な問題を抱える現代社会に不可欠なものと捉えています。本職の大学教員の傍ら,NPO法人日本オリンピック・アカデミーの会員(2015年から理事)として,オリンピズムの普及と浸透の活動に携わっています。

明治大学で一般教養科目として「オリンピック・パラリンピック概論」を2015〜18年度の4年間開講し,そのコーディネーターを務めました。毎回,学内外から専門家を招くオムニバス形式の授業でした。オリンピックというと「競技力向上」などの自然科学の領域に偏りがちですが,私が注目したのは哲学,歴史といった普遍的な基礎領域でした。「なぜ,2020年まで授業を継続しなかったのか?」とよく聞かれます。私は2020年をゴールと考えていません。なので,敢えて2018年度で一旦区切りをつけました。東京2020大会終了後に,頃合いをみて復活させたいと考えています。また,授業を完全に休止しているわけではなく,4年間開講した知の蓄積をより広く社会に還元する目的で書籍化を行いました。特に中学生や高校生などの青少年世代に読んでもらいたいため,岩波書店の協力を得て,岩波ジュニア新書シリーズから『オリンピック・パラリンピックを学ぶ』と題して今年1月に刊行しました。オリンピックの哲学や歴史というと難解な文献が多い中,本書はこども向けに噛み砕いた内容となっています。

多くの関係者の尽力のお陰で,今夏の東京2020大会は史上最高の盛り上がりをみせる大会になることは間違いないと思います。大会期間中の私はボランティアとして携わる予定です。とても待ち遠しいです。

(2020年3月8日 後藤光将記)

4.Kiyomisax In San Francisco

作田聖美氏

こんにちは。生まれも育ちも野々市市のサクソフォン奏者 作田聖美です。これまで東京を拠点に演奏活動をしており、東京野々市会に所属し、粟市長はじめ会員の皆さまと情報交換や交流をさせて頂いておりました。

東京野々市会は本日創立30周年を迎えました。大変光栄なことに、今年7月に開催が予定されている「東京野々市会創立30周年記念の集い」にてミニコンサートを開催させていただく事になりました。是非ともこの機会に東京野々市会にご興味をお持ちいただきたく、また、コンサートへもお気軽に足をお運びいただけたらと思っております。

さて、タイトルの「Kiyomisax In San Francisco」ですが、昨年9月より、拠点をアメリカ・サンフランシスコに移して活動しております。吹奏楽やアメリカの歴史、文化の見聞を広めると共に演奏活動の場を広げ研鑽を積もうと思っております。

7月の記念コンサートに向け、自己紹介を兼ねた私のサンフランシスコライフについて発信して参ります。どうぞよろしくお願いいたします。

(2020年2月25日 作田聖美記)

3.会長からのメッセージ ~東京野々市会創立30周年を迎えて~

 東京野々市会設立総会

東京野々市会は本日創立30周年を迎えました。

本日、創立30周年の記念日を迎えることができましたのは、会員のみなさまの野々市に対する熱い思いと市長始め市関係の方々のご支援のお蔭であると、深く感謝する次第であります。

30年の時の流れには感慨深いものがあります。その間、野々市の人口は36,374人(平成元年12月末)から52,895人(令和元年12月末)と増加し、町から市へと発展してまいりました。辺りの風景は設立当時と一変し、多くの田畑から家々へと変わりましたが(世帯数:平成元年12月末12,499、令和元年12月末23,769)、ふるさと野々市が長閑さの残る住みよい街へとさらに発展していくことを願っております。

東京野々市会は「和やかに会える会」をモットーに、30年の長きに亘り、歴代の会長、会員のみなさまが会の発展に尽力されてきました。これからも市長を囲んで和やかに意見交流を行う、また野々市言葉が飛び交う楽しい会にして行きたいと思います。さらに、今年は喫緊の課題である若手会員の拡大策として、若手会員を中心に情報交換できる、「若手交流会(仮称)」を立ち上げ、ネットワークの拡大を図って行きたいと考えております。

本年7月4日、東京オリンピック・パラリンピック開催直前に、東京御茶ノ水“Trattoria LEMON”にて「創立30周年記念の集い」を盛大に開催する予定につき、会員のみなさまにおかれましてはご家族そして新しい会員をお誘いあわせのうえご参加いただきますようお願い申し上げます。集いでは会員で、世界でご活躍中のサクソフォン奏者である作田聖美さんが、サックス演奏で記念の集いに華を添えていただくことになっておりますので、ご期待ください。

最後に、当会では本日の30周年を機に、「野々市応援団」として更なる会員の拡大により会の永続的発展を図って行く所存につき、ご友人・お知り合いにお声かけいただき、新しい仲間としてお誘いいただきますよう切にお願いする次第であります。

併せて、会員のみなさまがこれからもご健康で、一層ご活躍されますようお祈り申し上げます。

(2020年2月25日 嶋田良夫記)

2.「ふるさと祭り東京2020 ー日本のまつり・故郷の味ー 」をのぞいて

 ふるさと祭りの様子1 ふるさと祭りの様子2 ふるさと祭りの様子3

きょう東京ドームで開催されている「ふるさと祭り東京2020」をのぞいてみた。
平成21年から開催され、今年は1月10日(金曜日)~1月19日(日曜日)の10日間。お祭りひろばで催される日本の伝統的な祭りを楽しんで、全国ふるさとの味をまとめて堪能できる。

石川県ブースには9団体が出展(焼かき、ぶり丼ほか出展)。平日の午後4時頃でしたが、結構混み合ってました。去る14日(火曜日)、15日(水曜日)、伝統芸能「山代大田楽」が出演。

来年、一度のぞいてみられては如何!

(2020年1月17日 嶋田 良夫 記)

1.  30年、東京野々市会。

東京野々市会は今年創立30周年を迎える。平成2年2月25日午後3時、都市センターホテルにて会員・市関係者合わせて約50名参加のもと、ビデオによる野々市町の紹介や野々市じょんから踊りが披露され、盛大に設立総会が開催された。総会では、「出あう」「知りあう」「語り合う」「食べあう」をテーマに『会員が和やかに会える「会」』とする、事業計画が決議された。現在もその精神が受継がれている。

平成2年はバブル景気最後の年であり、日経平均株価最高値が3万8千円台をつけ、株価が企業の実態に見合わないことへの警戒感が色濃くなっていった。チノパンやPコート、ダウンジャケット、女子高生スタイルが流行し、スーパーファミコン(任天堂)、やキリン一番搾り生ビール(麒麟麦酒)が発売され、ロングセラーを記録する。新語・流行語大賞の新語部門は「ファジィ」(松下電器産業)、流行語部門は「ちびまる子ちゃん(現象)」が金賞を受賞するなど、当時の世相が窺える。

また同年3月30日に、野々市とニュージーランド・ギズボーン市との国際姉妹都市提携が締結されている。

設立時の町長は西尾 修氏(昭和54年~平成7年)で、以後歴代の町・市長は安田 彦三氏(平成7年~平成19年)、粟 貴章氏(平成19年~)であり、会長は舘 幸雄氏(平成2年~平成4年)に始まり、舘 時夫氏(平成5年~平成10年)、山下 三郎氏(平成11年~平成12年)、小西 二郎氏(平成13年~平成20年)、中嶋 一郎氏(平成21年~平成31年)、嶋田 良夫(令和元年~)と続いている。

会の活動は、総会のほか、これまで「野々市市ふるさと交流会 in Tokyo」、「いしかわ県人祭 in Tokyo」、「いしかわ百万石の集い」に参加することにあり、会員相互および他ふるさと会との交流が行われている。

総会には市長がご出席され、懇親会において市長と会員が身近に、かつ活発に意見交流がなされている。このことが東京野々市会の一番の特色であり、その意見交流が楽しみで会員が集まってくる。首都圏石川県ふるさと会の中で、東京野々市会のように市長と会員の交流が盛んに行われている会は数少ないようである。また総じて世代交代に苦慮しているふるさと会の中で、取分け東京野々市会は「若手会員が元気よい」といわれている。

人生100年時代といわれる中、東京野々市会は人に例えれば30歳の青年期であるが、引続き更なる会員数の拡大を目指し、「野々市応援団」として会の発展を図って行きたい。

(2020年1月1日 嶋田 良夫 記) 

 

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