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【東京野々市会】会員コラム

ページ番号:0018480印刷用ページを表示する更新日:2021年4月12日更新 <外部リンク>

令和3年度

2.コロナ禍を生きる ~季節の移ろいを感じながら歩く~

まだまだ出口の見えないコロナ禍というトンネルの中で、毎日如何お過ごしですか?

コロナ前と変わったことといえば、外出時のマスク着用、フィズィカル・ディスタンスを気にすること、外食しなくなったこと、外出や居住圏を越える移動を控えるようになったこと等々で、気が晴れることがない。

唯一の気分転換は、毎朝のウォーキングで、五感を働かせ、いろんなことを考えながら歩いている。ソメイヨシノが散り始めた途端、八重桜や鮮やかなツツジが一気に咲きはじめ季節の移ろいを感じる。また、今頃はスピッ・スピッ・スピッと鳴くシジュウカラのさえずりが心地よい。

ウォーキングは、自宅から往復1時間かけて3か所の目的地(曹洞宗大榮山廣源寺、竹間神社、針ヶ谷氷川神社)を目指し、日替わりで行っている。

曹洞宗大榮山廣源寺は、川越街道沿いの三芳町藤久保というところにある。渋井(現川越市)にある蓮光寺の末寺で、藤久保の開拓着手時期にあたる1639(寛永16)年に、龍国呑海大和尚を開基として創建された。本尊に、釈迦如来坐像が安置されている。仁王像は山門に伽藍と仏様の守護神として置かれるのはよく見るが、ここ廣源寺のように本堂に置かれている様は珍しい。1872(明治5)年に学制が公布され日本の近代教育がスタートすると、その趣旨に基づいて各地で学校が開設され、1874(明治7)年には廣源寺に藤久保小学校が開設された。廣源寺は、三芳町の教育を語る際には欠かせない場所でもある。

竹間神社は、三芳町竹間沢というところにあり、新編武蔵野風土記稿(江戸時代後期の地誌)には「三十番神社」と記され、三十番神(法華経の守護神)の名称から日蓮宗と関連するとする説もある。1868(明治元)年の神仏分離令以降、祭神を八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)とし、後に竹間神社に改められた。末社に八雲神社が祀られ、境内には金毘羅大権現・根本山神社・榛名万行大権現・天満宮の石祠、庚申塔、大山石尊(不動明王像)、力石などがあり、天照大御神や素戔嗚尊が祀られている神社とは趣が違う。

針ヶ谷氷川神社は三芳町に隣接する富士見市針ヶ谷というところにある。創立年月日は不詳であるが、元禄年間に針ヶ谷村が川越領となり、現在の志木市にある舘村氷川神社を分祀し創設したとされ、祭神は素戔嗚尊である。1872(明治5)年、社格御制定の節に、古来より一村の鎮守であることから村社に列して、氏子の魂の寄り集う所として殷賑(いんしん)を極め現在に至っている。現在の社殿は1992(平成4)年11月に完成したものである。

以上、ウォーキングで訪れる自宅近隣の寺社について触れてみたが、ただ訪れるだけでなく、いろいろ調べてみるのもおもしろい。

会員のみなさまにおかれましては、取り組んでおられること、趣味、ライフワーク等々、テーマは自由ですので、是非会員コラムに原稿をお寄せください。

つつじ曹洞宗大榮山廣源寺
   咲き始めた八重桜やツツジ         曹洞宗大榮山廣源寺


竹間神社針ヶ谷氷川神社
        竹間神社               針ヶ谷氷川神社

(2021年4月12日 嶋田良夫記)

 

1.野々市を知る。~いしかわ観光特使として野々市のPRを考える~

「あなたのふるさと野々市って、どんなところ?」と聞かれてうまく答えられるだろうか。

一昨年母校OB会にて、いしかわ観光特使として故郷石川についてスピーチする機会があった。最初は、野々市について話をしたいと思ったが、結局石川を代表する街“金沢”をPRすることになった。帰省の折に観光案内のリーフレット等を収集したが、詳しい資料が少なかったので母校図書館にて参考文献を探しレジュメを作成した。

レジュメの内容は、(1)ちょっと金沢まで(金沢駅まで片道たった2時間半)、(2)金沢の起源、(3)加賀百万石の歴史的背景、(4)徳川幕府対策、(5)金沢の文化、(6)金沢ことば、(7)雨の金沢、(8)世界と日本が認めた金沢、(9)金沢観光スポット、(10)金沢観光のアクセス、(11)金沢の奥座敷、(12)金沢四季のイベント、(13)銀座で金沢を味わう(「いしかわ百万石江戸本店」「dining gallery銀座の金沢」の紹介)、(14)まとめ~金沢の魅力~。以上、金沢の起源、加賀百万石の凄さや百万石をなし得たと思われる理由を明らかにするため、a.利家は新天地開拓に果てしない夢をかけた、土豪の四男、b.利家の信長との出会い・秀吉との信頼関係、c.妻まつの大きな存在、d.うまくいった二代利長、三代利常への家督継承、e.徳川幕府対策(文治政策)等の切り口で深掘り説明。いつかこのように、野々市をPRできればよいなあと思いながら・・・。

さて、野々市市といえば、金沢市南西部に隣接する同市のベッドタウン。“2020住みよさランキング”の全国1位にランクアップされ、若者の人口が増加している。人口53千人(令和3年2月)、面積13.56平方キロメートル、一般会計予算190億円(令和3年度)のコンパクトな街で、市内には2つの大学(ロボコンで有名な金沢工業大学、石川県立大学)を有し、・・・と後が続かない。観光特使としては甚だ頼りなく、己の無知を反省している。

野々市の起源を辿ってみると、『野々市町小史』には、菅原道真公が元慶7(883)年神を祈って越洲社に向う時、野々市を通過せられたとの記述があるが、見解が分かれているようで、白山比咩神社が所蔵する『三宮古記』の、正和元(1312)年の条に「野市」と書かれているのが最初のようである(『ののいち歴史探訪』)。そして1488(長享2)年の加賀一向一揆によって富樫政親が敗北した後の戦国時代は、一向宗門徒による政治体制が確立して尾山御坊が建立されると、加賀国の中心地は野々市から金沢に移ることになるが(『ののいち歴史探訪』)、もし加賀一向一揆がなければ野々市は石川の中心地であり続けたのであろうか?・・・と思いを巡らせている。

野々市市ホームページ・トップページの一番上の帯 【みどころ情報】 をクリックし、さらに次のカテゴリー に進んで、<自然・公園><観光ガイド><歴史・文化財>等をクリックすると、それぞれの概要が網羅されている。また、野々市市発行「ののいちし文化財マップ」には60件に亘る文化財の説明がなされ、各々にアクセス(“のっティ”のルートとバス停No.)やMAP位置も記されているので、一度ご覧になっては如何でしょうか。

コロナ後には、これらの資料に併せ図書館に籠って詳しい資料を探してまとめてみようと思っているが、果たしてうまく行くか心許ないところである。

ののいちし文化財マップ

(2021年4月7日 嶋田良夫記)

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