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【東京野々市会】会員コラム

ページ番号:0018480印刷用ページを表示する更新日:2024年10月8日更新 <外部リンク>

2024(令和6)年度

8.新型コロナが収束して

昨年5月5日、世界保健機関(WHO)が新型コロナウイルスについて「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」の終了を発表し1年5カ月が経過して、今では話題にもならず、メディアが取り上げることもなくなった。しかし、コロナウイルスは根絶することなく、9月23日~29日の「定点把握」データによると1医療機関あたり全国平均3.58人の感染者が発生している(NHKニュース・防災)ことを忘れてはならない。

 

新型コロナウイルス感染症対策分科会会長を務めた尾身茂氏は、人々の交流、たくさんの家畜の飼育、地球温暖化などを考慮すれば感染症のパンデミックは必ず起きる、と話す(2024.9.25配信Yahoo!ニュースオリジナルRED Chair)。また、東京慈恵会医科大学 浦島充佳教授は、新型コロナに続く次なるパンデミックを引き起こす感染症として「ニパウイルス」が進化した「新型ニパウイルス」をあげる。ニパウイルスは新型コロナウイルスと同じRNAウイルスを病原体とし、感染すると発熱や頭痛、脳炎などの症状が出るという(2024.9.12日経新聞朝刊21面)。

 

3年余りに及んだコロナ禍は、発生当初は手探りで右往左往したが、私たちにいろいろなことを考える時間と機会を与えてくれ、変化をもたらした。例えば、デジタル化、働き方改革、サプライチェーンの再編、中小企業の事業継承の加速など、社会、産業における構造改革は一挙に進展した。また、行動制限は社会や人々に行動原理や価値観の変化を促し、人とのかかわり方が明確になったように思われる。

 

10月から高齢者向けに新型コロナワクチン予防接種が始まるのを機会にコロナ禍を振り返った。喉元過ぎれば熱さを忘れることなく、これからもウイルスに対して「正しく恐れる」行動をとり、早めに接種を受けることにしよう。

 

(2024年10月8日 嶋田良夫記)

 

7.喜多家住宅を訪ねて

2022年3月、野々市生まれの純米酒“猩々”の復刻後、 “猩々秋あがり” “猩々おりがらみ”に続き、今年6月に猩々仕込み梅酒“梅猩々”が限定発売となった。

猛暑の中、いただいた“梅猩々”に氷を入れ一口、喉越しのほのかな香りに涼を感じた。

 

この夏、帰省の折60数年振りに、昭和50年頃まで“猩々”等の酒造りをしていた、喜多家住宅を訪ねた。入口からトオリニワに入り、吹き抜きのあるオエに上がり、ナカノマ、イマ、ブツマを抜けザシキへと進み、ミズヤにある手すりのない狭い階段から2階に上って、当時の商家の生活を垣間見ることができた。

 

喜多家住宅案内のパンフレット(野々市市教育委員会発行)に「喜多家は、元は福井藩の武士でしたが、貞享3(1686)年、藩を離れてこの野々市に移り住みました。その後、菜種油を売る商人となり、明治時代からは酒造りを営むこととなりました」と記載があるが、なぜ福井藩の武士が野々市に移住し、菜種油売りを営み、その後酒造りに転業したのだろうか。

 

福井藩について調べて見ると、貞享3(1686)年閏3月、福井藩7代藩主松平綱昌は将軍綱吉によって領地47万5,282石を没収され(「貞享の半知」と知られる)、この奇禍を理由に家臣団の人員削減が断行された(福井県『福井県史 通史編4 近世二』平成8年3月31日)ことが分かった。

 

また、江戸時代中頃には、野々市を含む石川郡は土質と水はけがよいため菜種作りに適していため、灯りをともす貴重な油を作る油屋が多くみられた。その後幕末頃には油屋経営が難しくなって、他の業種に転換している例がみられた(野々市市HP・野々市デジタル資料館)ので、喜多家もその一つであったのであろう。

 

帰り際、玄関のお酒の受け渡しの狭い窓口をみて、小学校低学年の年末に徳利を持って正月用のお酒を買いに来たことを思い出した。外に出ると激しく車が行き来していたが、その頃は車の通りも少なく長閑であったように思う。

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(2024年9月10日 嶋田良夫記)

 

6.「野々市ファン」の拡大に向けて ~東京野々市会の仲間を増やそう~

7月13日(土曜日)開催の“第36回東京野々市会総会”後の情報交換会にて、粟市長から「市民のリスキリングによるサステナブルスキル育成を促すオープンバッジ制度(市民の一人ひとりのSDGsに関するスキルや経験を見える化する)」を導入することで、市内での取り組みを推進しながら市民一人ひとりの持続可能な社会の実現に対する意識を向上させ、若者を中心とした市民が一体となってまちづくりを行う社会の実現を目指すよう取り組んでいる、と紹介され、東京野々市会からも参考となる発想やアイディアを期待している旨のお話しがありました。

 

東京野々市会は、野々市市が取り組んでいる魅力的なまちづくりを応援するためにも、今後さらなる会員数の拡大を図り、これまでの30年の活動を一区切りとして、さらに50年、100年・・・と活動を続けて行きたいと考えています。

 

そこで会員数の推移を見てみますと、1990(平成2)年2月の設立総会時の会員数は64名であり、その後時を経て2024年3月末現在の会員数は40名となっています。途中経過は省略するとして、2019年3月からの5年間で12名の入会者がありましたが、高齢化等により15名が退会となりました(年会費未納に伴う10名の退会は除く)。これまで、情報発信の強化や各方面とのネットワーク構築により会員数の拡大(以下参考資料)に努めておりますが、会員数拡大には会員のみなさまによる新規会員の勧誘が一番の近道と考えています。

 

以上を踏まえて、会員のみなさまからの、お知り合い・ご友人へ入会のお声掛けを今一度よろしくお願いいたします。

(参考資料)

​​ 1.会員数の推移

 

会員数

(内会費未納者数)

入会者数

退会者数

入退会理由

入会

退会

設立時(1990年)

64(-)

 

 

 

 

2019年3月

54(10)

1

 

​ののいち里まち倶楽部紹介

 
2020年3月

53(10)

1

2

会員紹介

死亡

2021年3月

43(0)

 

10

 

会費未納者退会(規約改定)

2022年3月

44(0)

5

4

野々市市ふるさと交流会in東京参会者へ勧誘文書発送

死亡ほか理由不明

2023年3月

42(0)

 

2

 

高齢

2024年3月

40(1)

5

7

HP閲覧、会員紹介

高齢ほか参加不可

入退会者数計

 

12

25

 

 

 

 

※退会者数24名のうち会費未納者10名が含まれるので、実質の退会者は15名(規約改定により会員資格を年会費納入者とする旨明確化。未納者に対し意思確認後、退会扱いとしている。)

 2.会員数拡大策

 (1)情報発信の強化

 ・HPの刷新(野々市市HPの中で、誰でも目に付きやすいように構成し内容も刷新。常にアップデイト)

 ・Instagramの立上げ(若手の閲覧を期待)

 ・「広報野々市」への募集記事掲載(年2回)、石川県人会会報「石川縣人」および「加能人」へ紹介記事掲載、報道機関へのアプローチ(北國新聞へ記事掲載)、石川県学生寮OB会メルマガによる勧誘

 ・創立30周年記念の集い開催

 (2)ネットワークの構築

 ・金沢工業大学OB会(関東こぶし会)との連携構築、石川県立大学へのアプローチ検討

 ・若手会員の役員登用

 ・若手交流会の立上げ(会員友人等のネットワーク拡大)・・・今後取組み予定

 ・当会事務局(野々市市市民協働課)との十分なる連携

 ・野々市市主催のイベント等への積極的応援・参加

 ・会員による勧誘活動展開・・・友人・お知り合いへのお声掛けをお願いします。

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(2024年8月10日 嶋田良夫記)

5.雨を楽しもう☂

6月21日、昨年に比べ約2週間遅く関東甲信が梅雨入りした。暫くうっとうしい日が続くと思うと気が滅入る。

 

雨の日は、出来るだけ外出を避けることにしているが、どうしても出かけなければならないときは、濡れないようにレインコートを着て、大振りの傘を差し、防水のシューズを履くことにしている。

 

先日、ある雑誌の巻頭にイギリスの傘のことが書かれていた。イギリスの傘は日本の傘のように平べったい屋根でなく、逆さにしたお椀のように丸い屋根になっていて、傘を差して歩くと「ポンポン」と心地よい音がするようである(『THE NIKKEI MAGAZINE』9 June 2024 7頁)。とかく雨をうっとうしく感じるが、イギリスでは雨を楽しもうとしているのであろうか。

 

WEBで調べて見ると、ロンドンの老舗傘ブランド「フォックス・アンブレラ」は、創業当時から手作業で熟練職人が一本一本丁寧に作り、開いた時はこんもりとし、閉じた時のスリムなフォルムが美しく、雨に日の紳士淑女をエレガントに見せるそうである。一般的な傘と比べて生地が高いテンションで貼られているので、雨が当たった瞬間に雨が歌っているような唯一無二のサウンドを生み出し、雨の日が楽しくなるようである。

 

しかし、ロンドンの降水量は東京の4分の1程度であり、シトシト降る雨で、傘が必要ない程度であると思われるが、このような趣のある傘はステッキ代わりなのか、ファッションなのか?

 

首都圏とロンドンを行き来している友人に「こんもり傘」のことを聞いてみたが、よく分からない。ロンドンでは、小糠雨(こぬかあめ)と本降りが半々くらいで、お天気の推移が予測しにくいため、一応傘は持ち歩くが、小糠雨程度では傘を差さないようである。よい機会であるので、友人には今度彼の地に行った時にイギリスの「こんもり傘」のことについて見聞してもらうことにした。

 

今度、雨の日に、「フォックス・アンブレラ」ではないが、傘に落ちる雨音を聴いてみよう。

 

(2024年7月1日 嶋田良夫記)

4.”六義園散策の会”に参加して

5月18日(土曜日)、快晴で真夏のようなお天気。午前11時、“六義園散策の会”に参加予定8名のうち6名がJR山手線 駒込駅南口に集合した。

 

駒込駅から本郷通りを歩くこと7分、正門に到着。内庭大門(庭園の中心に入るための門)を通り抜けると、既に葉桜となったしだれ桜が迎えてくれた。サクラの開花時は混みあうので、この時期の開催となったが、ツツジも既に咲き終わっていた。五代将軍・徳川綱吉の信任が厚かった川越藩主・柳沢吉保が1702(元禄15)年に築園した、和歌の趣味を基調とする「回遊式築山泉水」大名庭園を、大泉水に沿って時計周りに小一時間散策。サクラやツツジの花の季節が終わったものの、清々しい空気を吸って心地よい汗をかき新緑を満喫した。途中、吹上茶屋で休憩し抹茶と和菓子を楽しむ予定であったが、会食の予定時間が迫っていたため駒込駅近くの鮮魚店へと急いだ。

 

鮮魚店では、途中参加の2名も揃い、よく冷えたビールで乾杯! お酒が進み、東京野々市会はどうあるべきか、野々市をどのように応援すべきか、また「野々市ファンの拡大」のためにどうすべきか、と議論が白熱した。議論の流れは、野々市ファンを増やし、会を続けていくことが大事であるとの結論に至った。ふるさと野々市を応援しようという思いから、2時間に亘る忌憚のない意見交換となった。

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(2024年6月1日 嶋田良夫記)

 

3.野々市市郷土資料館“N o N o”を訪ねて

先月、帰省の折に野々市市郷土資料館”N o N o”を訪ねた。同館は本町四丁目(本町通り)にあった「旧魚住家住宅」(1973年まで青果、雑貨店として営業。屋号“ようや”)が、1975(昭和50)年に白山町に移築され、老人の集いの家「椿荘」、その後1982(昭和57)年に郷土資料館として活用され、1994(平成6)年に現在の本町三丁目に移築された。昨年4月に「人の流れの復活」を目指す拠点として民間事業者に管理委託されたことは以前のコラムで紹介した。

 

民間に管理委託されて1年が経つので、どのように変わったのか、と思い訪れた。入口を入ったところの広間“ミセノマ”には、以前からのカフェに加え市民や来館者がお酒を飲み、蕎麦を愉しむことができるようにテーブルが並べられていた。

 

“トオリニワ”を抜け2階に上がると、展示室には野々市市本町出身の木彫家 瀬戸栄子さんの作品展が開かれていた(1936年生まれの瀬戸さんは現在もお元気で活動されている)。また、会場には瀬戸さんの生家である履物商の関係資料も併設展示されていた。

 

館内を一巡してから、1階ミセノマの“のの蕎麦CAFE”で地酒を傾け蕎麦をいただくつもりであったが、食事の注文は午後3時30分で終了ということで、一巡する前にお願いしておいた。地酒のセットにはフキノトウ味噌が添えられた豆腐がついており、春を感じながら地酒の吟醸酒で一杯。後に出てくる山菜蕎麦セット(小ぶりの軽く焼いたおにぎり付)で少し遅い昼食を取り、暫し木虫籠(キムシコ=格子)を通して人の流れを眺め、ゆったりと午後の一時を過ごした。

 

民間に管理委託後、PR不足でまだ来館者が少ないようであるが、従来の「資料展示の場」に加え「人が集う交流の場」として一層にぎわうことを期待したい。

資料館の向かいには駐車場も用意されているので、会員のみなさまも帰省の折には一度立ち寄られてみては如何でしょうか。地酒も蕎麦もいい味でした。

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(2024年5月7日 嶋田良夫記)

2.“狂言の夕べ”を鑑賞して

​​4月16日(火曜日)、母校主催の“狂言の夕べ”を鑑賞した。今回の公演は“末広かり”と“六地蔵”の演目であったが、野村万作、萬斎、裕基の親子三代で演じられた“末広かり”からは室町時代から引き継がれた伝統芸能の凄さを感じた。

 

野村万作さんは人間国宝で昨年文化勲章を受章されたが、92歳になる自身が79歳で亡くなった父・万蔵の芸の域に達していないと言われる。今もなおカクシャクとして日々研鑽されている姿に感銘を受けた。

 

万作さんは公演に入る前の挨拶の中で、狂言は、一に「美しさ」、二に「面白さ」、三に「おかしさ」の順で、その中でも第一に大切なものは「美しさ」であり、美しい風姿や声が土台にあると話された。狂言の道の奥深さが感じられた。

 

今回の演目の一つである野村三代で演じられた狂言“末広かり”(すえひろがり)は、果報者が来客に末広かり(扇)を贈ろうと、太郎冠者に命じて都へ買いに行かせる。ところが末広かりが何のことか知らない太郎冠者は、声を掛けてきた男の巧みな言葉に、古傘を末広かりと信じ込んでしまう。大喜びで古傘を買い求めた太郎冠者は早速屋敷に持ち帰ると、果報者に見せるのだが、これは何だといわれる。果報者が勿体付けて「扇」と言わず「末広かり」と言ったのがミソであるが、野村三代の演技から狂言の「美しさ」「面白さ」「おかしさ」を十分堪能することができた。

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​(2024年5月7日 嶋田良夫記)

1.アウトドア活動のご案内  ~六義園散策の会~

3月は2月に比べ気温が低く、待ちに待ったサクラが漸く咲き始めました。

さて、昨年の“小石川植物園自然観察会”に続き、今年もアウトドア活動として以下のとおり“六義園散策の会”を実施する予定です。是非ご参加ください。

 

六義園は造園当時から小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられ、1695(元禄8)年、五代将軍・徳川綱吉より下屋敷として与えられた駒込の地に、柳澤吉保自らが設計、指揮し、「回遊式築山泉水庭園」として造られました(六義園HPより抜粋)。

 

同園は都内の近場にありいつでも行けると思っていましたが、昨年初めて母校OB会ウォーキングサークルで行ってきました。正門を入り暫く歩くと見事な庭園が一望でき、園内吹上茶屋でのお茶と練りきりはなかなか美味しくオツなものでした。

 

<六義園散策の会概要>

〇日  程:2024年5月18日(土曜日)午前11時

〇集合場所:JR山手線 駒込駅南口

〇そ の 他:1時間程度 散策後、近くの鮮魚店で昼食をとりながら情報交換。

~追って、事務局から詳細ご案内いたします~

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(2024年4月1日 嶋田良夫記)

 

過去の会員コラム

会員コラムは、令和元年度から掲載しています。過去のコラムも、ぜひご覧ください。

 ・会員コラム(令和元年度から令和4年度)

 ・会員コラム(令和5年度)

 

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