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令和5年度【東京野々市会】会員コラム

ページ番号:0052447印刷用ページを表示する更新日:2024年3月25日更新 <外部リンク>

2023(令和5)年度

17.“石川県野々市市 チャリティDay”開催されました!~令和6年能登半島地震復興支援イベント~

3月23日(土曜日)・24日(日曜日)の2日間に亘り“石川県野々市市 チャリティDay”~令和6年能登半島地震復興支援イベント~が、3月9日(土曜日)にオープンした石川県アンテナショップ“八重洲いしかかわテラス”で開催されました。

初日は粟市長も来場者と交流され、イベントを盛り上げました。また、野々市市出身やゆかりのある、平井亜美さん(プロゴルファー)、米林宏昌さん(アニメーション作家)、清水みさとさん(モデル)、三國浩平さん(作編曲家・レコーディングエンジニア)、谷裕介さん(俳優・モデル・ファッションプランナー)、井上智さん(ジャズギタリスト)が駆けつけ野々市をPRしました。

入り口近くに設けられたイベント会場には、日本酒「猩々」、キウイフルーツワイン、「ののいちチョコぽん菓子」ほか沢山の特産品が並べられ、野々市の特産品を買い求める来場客でにぎわいました。最終日には日本酒「猩々」とキウイフルーツワインが完売となり、その他の特産品も数少なくなる状況で、能登復興支援の目的が十分果たせたように思いました。

私たち東京野々市会も駆けつけてイベントの応援をし、また東京野々市会のPRを兼ねて新規会員勧誘活動を行い数名の入会申し込みがありました。

これからも「ふるさと野々市応援団」として、このようなイベントに参加して野々市を盛り上げて行きたいと思います。イベントに駆けつけていただいた会員のみなさま、そしてイベントを応援いただいた役員のみなさま、ありがとうございました!

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(2024年3月25日 嶋田良夫記)

16.“国際女性デー”によせて

本日(3月8日)の日刊紙の表題にミモザの花があしらわれている。3月8日は“国際女性デー”で、女性の地位向上を目指して1975年に国連が定めた。欧米では、この日に女性にミモザの花を贈るという習慣があるようであるが、日本ではどうだろう。

もとは3月8日に女性に感謝を伝えるイタリアの記念日“Festa della Donna(女性の日)”にミモザが贈られたことが始まりといわれている。

毎年この日に、世界経済フォーラムが公表しているジェンダーギャップ指数(男女共同参画に関する国際的な指数で、経済、教育、保健、政治の分野毎に男女格差を示す指標)が話題となる。

Global Gender Gap Report 2023によると、日本のジェンダーギャップ指数は総合で0.647の世界146か国中125位である。前年比スコアは横ばいであるが、順位は9下げている。その内訳は、教育は0.997で47位、保健は0.973で59位、とそれぞれ優位にあるが、経済は0.561で123位、政治は0.057で138位の劣位にある。経済・政治の分野が劣位にあるのは、3月8日の一般紙には1面から国際女性デーの関連記事が掲載されている一方で、経済紙の1面には取り上げられてないことからも温度差がうかがわれる。

例えば、仕事について語るのに、女性の場合、能力や成果ではなく、その人が若いかそうでないか、容姿がどうのこうのといった意味のない「脇」の話がまず出てくることは、よくある(向い風は強くても  樋口恵子  朝日新聞2024年3月8日 朝刊15面)。この背景には「男性は仕事、女性は家庭」といった根強い意識・感覚がまだ残っているのかもしれない。

しかし、最近、国会議員候補や議席の一定割合を女性に割り振る「クォーター制度」の導入検討、東証プライムに上場する企業の女性役員を30%以上にする目標の検討、女性活躍推進法で男女賃金格差の公表義務、高校・大学への女性入学枠の検討等、男女格差の是正に向けた動きが進みつつある。

アメリカでは共和党の大統領指名候補争いから女性候補が撤退し「ガラスの天井」を突き破ることができなかったが、日本では会計検査院院長に田中弥生さん、海上自衛隊大湊地方総監に近藤奈津枝さんが就任し、また伝統的な大企業であるJALの次期社長や日本弁護士連合会の次期会長に女性が就く人事が相次いで発表されている。

依然としてジェンダーギャプ指数が劣位にある日本であるが、性差のない多様性のある社会が築かれていくことを望みたい。

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(2024年3月8日 嶋田良夫記)

15.”いしかわ伝統工芸フェア2024”開催される                ~令和6年能登半島地震 復興応援 がんばろう!いしかわ~

2月16日(金曜日)、石川県の伝統工芸が一堂に会する“いしかわ伝統工芸フェア2024”が3日間の日程で東京・有楽町の東京国際フォーラムで開催された。

今年で29回目を迎えるフェアには、1月1日の地震で被災した能登を応援しようと「令和6年能登半島地震 復興応援 がんばろう!いしかわ」のテーマが掲げられた。

開会式では石川県伝統産業振興協議会の岡能久会長が「フェアを通して業界が一致団結し、復興の一歩を踏み出したい」と挨拶した。

会場には、国指定伝統的工芸品である輪島塗、山中漆器、九谷焼、石川県指定伝統工芸品の珠洲焼ほか、稀少伝統工芸品の数々が40余りのブースで出品された。

開催初日は、平日にも拘わらず午前10時のオープニング前から「被災した能登を応援しよう」との思いから多くの人が訪れ、賑わった。会場には、東京野々市会や他のふるさと会の方々も見られた。

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(2024年3月1日 嶋田良夫記)

14.令和6年能登半島地震の発生に寄せて

阪神・淡路大地震(1995年1月17日午前5時46分発生 M7.3 最大震度7)、東日本大地震(2011年3月11日午後2時46分発生 M9.0 最大震度7)、令和6年能登半島地震(2024年1月1日午後4時10分発生 M7.6 最大震度7)のいずれの地震も冬の寒い時期に起きている。

海溝型の巨大地震が冬に特に起きやすいのは、地震が起きやすいプレート境界を押さえつけている海面からの力が、冬は海面から下がるため弱くなり、角度の緩いプレート境界断層の摩擦が小さくなることが原因の一つとされる(2024年1月2日『現代ビジネス』東京大学辻健教授)。

今回の能登半島地震発生にあわせ、これまで経験した地震発生時のことを振り返ってみた。

阪神・淡路大地震発生時は、早朝に鈍い揺れを感じてテレビを付けたが、「京都、大阪、神戸?」と暫く地域の特定ができなかった。その日は早めに出社して、テレビの映像から見る被災地神戸の火災の大きさに愕然とした。翌日、東海道新幹線に飛び乗り、新大阪まで辿り着いて、神戸郊外の宿泊先から神戸にある支店の事業支援をすることとなった。最寄り駅で電車を降り神戸中心部まで時間をかけて歩いたが、歩道はひび割れ、辺りの建物は倒壊する等、無残な光景から被害の大きさを感じた。支援活動の期間中は、オフィス内の暖房がなく、また水洗トイレも使えず、宿泊先のホテルに戻ってもバスには温水が出ない状況であった。僅か1週間程度の支援活動であったが、帰京後、寒さ、街中の埃、疲労によりインフルエンザに罹った。

東日本大地震発生の時は、勤務中に突如大きな揺れでパソコンが横倒しとなり、キャビネットから書類が投げ出され、収まることのない長い揺れに「遂に大地震がきたか」と恐怖を覚えた。当日は公共交通機関がストップとなり、携帯電話が繋がらない状況が続いたため勤務先で不安な一夜を過ごすこととなった。福島第一原発が被害を受けた影響で、暫くは計画停電が続き通勤にも時間がかかり苦労した。街の明かりが落とされ、暗い気分になったことが思い出される。

1月1日に発生した能登半島地震は、阪神・淡路大地震や東日本大地震に引けを取らない規模で、被害の大きさが窺える。テレビの映像から見ると、小学校の修学旅行で初めて訪れた自然豊かな能登の風景が一瞬にして変わり果て、複雑な思いである。

地震発生後1か月が経ち、国、石川県、日本各地からの支援により、少しずつ復旧に向けた動きがあるが、依然として各地で断水が続き、今なお厳しい避難生活が余儀なくされている。

首都圏では、地震で被災した石川県を支援しようと、売り上げの一部が義捐金として寄付される物産展がJR池袋駅構内で開催されている(開催期間:1月26日~2月8日)。

私自身も少しでも支援しようと足を運んで特産品を買い求めた(野々市の“純米吟醸ichi椿”も出展)。

このような状況下、東京野々市会としても、被災地の一日も早い復旧に向けて「ふるさと石川」に対し出来る限りの支援をしたいと思う(支援の詳細については、追って連絡)。

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(2024年2月1日 嶋田良夫記)

13.2024年1月能登半島地震で被災された方々へのお見舞い

年明け早々に飛び込んできた能登半島地震発生の報道に愕然としました。5メートルを超える大津波情報とNHKアナウンサーが絶叫する避難誘導には只事ではないと思いましたが、野々市はそれ程の被害がなかったと聞きました。しかし、毎日のように能登の被害状況が報道されるたびにいたたまれない気持ちになります。

会員のみなさまの被災されたご親戚・ご実家等の関係先でお亡くなりになられた方々に対し深い追悼の意を表したく存じます。また、一命をとりとめても被災され、寒いなか厳しい避難生活を送られている方々に心からお見舞い申し上げます。

地震発生以来、今もなお被害の全容が明らかになっていない状況が続いておりますが、一日も早い復旧により安全で安心できる日常に戻られることをお祈りしています。

 2024年1月10日

                                   嶋田 良夫

12.2024東京野々市会                         ~会長からのメッセージ~

あけましておめでとうございます。3年以上続いた新型コロナ・パンデミックは100年に一度の感染症危機と言われましたが、漸く日常生活を取り戻せるまでの状況となりました。

2023年 印象に残った新聞記事を見てみると、「2022年2月に起きたロシアによるウクライナ侵攻は膠着状態が続き、さらに中東でイスラエルとイスラム組織ハマスの衝突によって国際社会は対立と分断が深まる」「コロナの発生で結婚・出産に経済不安を覚え、年間出生が10万人減」「猛暑は日本だけでなく世界各国を襲い、国連のグテーレス事務総長は『地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰の時代が来た』と強調」等、負の情報がありました。一方、プラス情報として欠かせないのは「ワクチンが早く開発され、パンデミックの初期段階に命を救った、mRNAワクチン開発のカタリン・カリコ博士にノーベル生理学・医学賞授与」でした。

さて、東京野々市会は5年前から計画し準備を進めていた“創立30周年記念の集い”を11月13日(月曜日)に御茶ノ水のイタリアンレストランTrattoria LEMONにおいて当初予定から3年越しで開催することができました。来賓の関東こぶし会(金沢工業大学同窓会)中村孝蔵会長、野々市市から粟貴章市長、北村大助市議会議長、中川弥生市民協働課長をお招きし、会員の作田聖美さんの会場に響き渡る素晴らしいサクソフォン演奏による、和やかな会となりました。設立以来振り返ってみても、参加された一人ひとりがこんなに笑顔溢れ、温かい雰囲気に包まれた会はなかったように思い、記念事業準備委員会の一人として「延期に延期を重ねたけれども、やってよかったぁ」と嬉しく感じております。

今年は、野々市市第二次総合計画の一つである「野々市ファンの拡大」のためにも会員数の拡大を図り、ふるさと野々市をPRし盛り上げて行きたいと考えております。それには、SNSによる更なる情報発信、アウトドア活動の実施および若手交流会の立上げ等に取り組んで行きたいと思いますので、会員のみなさまのご支援・ご協力をお願いいたします。

結びに、今年はウイズコロナからアフターコロナのステージに向うことを期待し、2024年が会員のみなさまにとって、躍動的でより良い年となりますよう祈念いたします。

(2024年1月1日 嶋田良夫記)

11.50年前に出会った友人のその後

学生時代に世界青少年交流協会主催の青少年交流事業に参加してアメリカとフランスに派遣されたことは以前のコラムでも述べた。時の流れが早く、もう50数年が経過した。

1968年7月、訪米日本青少年代表団165名が羽田を発ち、アメリカのサンフランシスコ近郊のオークランド空港に到着した。サンフランシスコ市長接見、カリフォルニア大学バークレイ校の学生との交歓を皮切りに36日間の青少年交流がスタートした。一同はコンチネンタル・トレイルウェイズのバスでロサンゼルス、グランドキャニオン、ソールトレイクシティ―、デンヴァ―、オマハ、シカゴ、デトロイト、バッファロー、ボストン、ワシントンD.C. ニューヨークとアメリカ大陸を横断した。起伏に富んだ広いキャンパスをもつカリフォルニア大学バークレイ校やユタ州立大学の学生との交歓、雄大なグランドキャニオンの眺め、人種の坩堝であることを感ずるニューヨークの雑踏、下田武三 駐米大使の「日本人は自分の考えをもって歩むべきだ。これからの青年に期待する」との日本大使館での演説は今でも思い出される。

石川県から派遣された3名の中で、当時最年少の高校生であったIさんは、当時から医師を目指されていて、大学1年生で将来像がおぼろげであった私にとって彼のことを凄いなぁと思っていた。その後、社会人となり交流は途絶えていたが、ふと当時のことを思い出して彼の動静を調べて見たこところ、大学卒業後、初志貫徹し地元で内科・精神科医として地域医療に貢献されている。

1971年、大学4年生の時に同協会主催・フランス文化省の受け入れで、フランス派遣団として参加した。7月中旬、羽田からロンドン・ヒースロー空港に到着。数日間のロンドン滞在を終え、ロンドン・ビクトリア駅から英仏海峡をフェリーで渡りパリ北駅に到着した。その後、フランス滞在中の大半をブルターニュ地方にあるカンペルやレンヌに滞在し地元の青少年と交歓した。以後、近隣の欧州諸国を回り、学生生活最後の夏休みが終わった。

フランス派遣団の20数名は1か月間寝食を共にしたが、その中で当時大学1年生であったKさんがこのたび日本学士院の新会員に選ばれた。彼は近代政治の選挙・政党・議会について計量的実証的な研究をし、遂に研究者の頂点に昇り詰めた。

50年前に縁あって知りあった二人の友人の活躍を誇らしく思い、私自身も頑張らなければと鼓舞している。

(2023年12月15日 嶋田良夫記)

10.“東京野々市会30周年記念の集い”開催しました!

今年は夏が過ぎても暑さが続き、秋らしい天気が少なかった。ようやく本来の季節通りの肌寒さが感じられるようになった11月13日(月曜日)に、東京野々市会30周年記念の集いが開催された。場所は、御茶ノ水駅近くの老舗のイタリア料理店トラットリア・レモン。粟貴章市長をはじめ、北村大助議長、関東こぶし会(金沢工業大学同窓会)中村幸蔵会長、野々市市市民協働課中川弥生課長をお招きして、会員16名参加のなか、東京野々市会幹事でもあるサックス奏者作田聖美さんの演奏を聴きながら、和やかな会が開かれた。

東京野々市会の設立は、1990(平成2)年2月25日都市センターホテル(東京都千代田区平河町)にて設立総会が開催され発足した。出席者36名、ほか野々市町から10名、設立時会員数64名であった。市長(町長)も毎年出席する年次総会を中心に、会員相互の親睦を深める数々のイベントを催してきた。2008(平成20)年から「いしかわ県人祭in東京」にも参加している。

2018(平成30)年10月、来たる2020年に設立30周年を迎えるにあたって、創立30周年記念事業検討委員会(翌年、創立30周年記念事業準備委員会)を立上げ、御茶ノ水トラットリア・レモンにて野々市市出身のサックス奏者作田聖美さんの演奏を聴きながらパーティーを開催するという基本プランで鋭意準備が進められた。しかしながら、新型コロナウイルス感染症拡大により、延期に次ぐ延期。中止やむなしという風潮のなかでも、当初の計画通りの記念パーティーを開催することができたことは、嶋田会長の粘り強いリーダーシップの賜である。準備開始から起算すると、5年越しである。この5年のうちに、作田聖美さんは米国ロサンゼルスに移住したにもかかわらず、当初計画通りに演者として参加していただき、素晴らしい音楽を奏でてくれた。

設立当初からの会員(9名)は、永年会員として表彰され、嶋田会長から感謝状が贈られた。ふるさと野々市を思う会員の気持ちが30年、一世代という区切りを迎えることができたことは大変喜ばしい。今後も東京野々市会は、関東在住者のふるさとへの思いを結集させながら親睦を深め、野々市市のさらなる発展を願う会として在り続けたい。

集合演奏

(2023年11月14日 後藤光将記)

9.“第14回いしかわ県人祭in東京” が開催される

10月27日(金曜日)、ホテル椿山荘東京において“第14回いしかわ県人祭in東京”が開催された。新型コロナウイルス感染症が収束に向かうと期待される中、昨年より多い840名が集った。

例年のことであるが、私たち実行委員は当日午後1時に参集し、参加されるみなさまにお渡しする参加記念品の準備を行った。

午後4時、同祭実行委員会名誉顧問・前田家第18代当主 前田利佑さんが参加され、裏千家・奈良宗久社中によるお茶席が始まった。会場前は先着300名無料とあって、開催を待ちきれない参加者が長い列をなす盛況ぶりであった。

午後4時30分、サテライト会場では石川ゆかりのある出演者によるハープ演奏や朗読などのアトラクションが繰り広げられた。また石川各地からの物産市が開催され混雑した。野々市市からも新発売の「猩々 秋あがり」*1、野々市ヤーコン焼酎「うまいがいね」等が並べられ、呼び込みが行われた。私も「猩々 秋あがり」と酒の肴を買い求めて、子どもたちへのお土産とした。

午後6時30分、県人祭の宴が「焱太鼓」*2の太鼓演奏によってスタートが切られた。

東京野々市会からは3名の会員と会員の石川ファンの同僚1名が参加し、関東能美市の会の方々と同じテーブルで石川づくしの料理や地酒を堪能した。私たち野々市会のテーブルでは乾杯までの時間が待ちきれず、目の前に並べられた地元の日本酒を次々と賞味し盛り上がった。

縁あって隣り合わせた関東能美市の会のお一人から、「野々市と聞いて、身近で懐かしく感じます。と言いますのは、祖父が野々市に映画館を作ったんですよ。今はなくなっていますが、ご存じですか?」とお話があり、「野々市駅(北陸鉄道石川線)の近くにあった『野々市劇場』*3でしょ」と即答したところ、その方はたいそう感激された。このように県人祭を通じての出会いにより、県人の絆を深めることができた。来年は第15回と節目の県人祭であるが、また新たな出会いがあることを期待したい。

 

(参 考) 

*1「猩々 秋あがり」 春に搾った酒がひと夏を越し、秋口にまろやかに熟成し、穏やかで丸みを帯びた旨味が特徴で、この秋に誕生した季節限定酒。

*2「焱太鼓」 1986年の結成以来、白山市を拠点として、世界をステージに活動を続ける女性太鼓グループ。

*3「野々市劇場」 1959年10月14日から1967年1月8日まで野々市の映画館として町民に親しまれた。

茶席アトラクション

物販集合写真

(2023年11月6日 嶋田良夫記)

8.残暑の中にも秋を感じる ~“石川ひやおろし”の解禁によせて~

9月第一金曜日の9月1日に“石川ひやおろし”が石川県内一斉発売となった。毎年のことであるが、今年も8月の帰省時に地元デパートでお世話になった方や子どもたちへ贈る手配をした。

今年も一推しの白山市の酒蔵の純米吟醸酒に加え、奥能登最古といわれる珠洲市の酒蔵の純米酒をチョイスした。クール便で届いた9月2日は真夏日であったが、封を切った瞬間の香りと、しっかりとした辛口の一杯で頭の中はすでに秋を感じていた。

「ひやおろし」は寒の時期に仕込んだ日本酒が蔵の中で熟成され、外気が蔵の温度と等しくなる秋口に生詰に瓶詰めして出荷されるお酒で、ひと夏を過ごすことにより適度に熟成されまろやかな味わいが特徴である。通常は貯蔵する前に殺菌のため一度火入れし、さらに出荷前に二度目の火入れをするが、「ひやおろし」は一度の火入れの後に時間をかけて熟成される。

9月1日の日経新聞(朝刊)に掲載された、東京・港区にある23区で唯一の小規模日本酒蔵についての記事が目に留まった。通常日本酒は冬に仕込まれることが多いが、そこではビル内を15度に温度管理をして少量生産ながら毎週出荷しているという。また、東京都の水道水をそのまま使い、無洗米を使用しているため水の使用量を大幅に減らすことができ環境に優しい。さらに、ビル内の酒蔵の温度・湿度を年中一定にして麹やもろみを管理しているため、通常の酒蔵のように冬から春にかけての繁忙期は蔵人が一日も休めないということがなく、働き方にもメリットがあるという。まさに持続可能な社会に向けての取り組みである。

このように小規模酒蔵における働き方改革に向けた取組みによる酒造りがある一方、「ひやおろし」のように時間をかけて造り、季節の移ろいを感ずる日本酒が消えることがないよう望んでいる。

ひやおろし

(2023年10月2日 嶋田良夫記)

7.“観能の夕べ“を鑑賞して

8月12日(土曜日)、石川県立能楽堂にて“観能の夕べ”を鑑賞した。夏の恒例となった“観能の夕べ”は、7月から8月の毎週土曜日に開催された。当日は、蒸し暑いなか香林坊から広坂を上り開演40分前に能楽堂に着いたところ、400余りの客席がかなり埋まっていた。能が「加賀宝生」として独自の発展を遂げた土地ならではの人気の高さがうかがわれた。

この夕べでは、<狂言>棒縛(ぼうしばり)と<能>高砂の演目が上演されたので、狂言と能の違いを比較して観ることができた。

「狂言」は、庶民の日常生活を題材とした喜劇で会話を中心に物語が展開され、一方「能」は、笛や鼓による演奏と地謡(じうたい)と呼ばれるコーラス隊の謡にあわせて舞台上の演者が舞いながら物語が展開される。狂言は演者の台詞があるので分かりやすいが、能は台詞がなく楽器とコーラスによって演者が舞うもので、より楽しむには予めあらましを学習しておくのがよい。

<狂言>棒縛のあらまし――主人が留守にするたびに太郎冠者と次郎冠者が酒を盗み飲みするので、ある日主人は太郎冠者の両腕を棒にくくりつけ、次郎冠者を後手に縛り上げてから外出した。残された二人はなんとかこの不自由な格好で酒が飲めないかと知恵を働かせて飲み、大宴会となったところへ主人が帰宅し大騒ぎとなる。

酒を飲みたさに協力し不自由な身で浮かれる姿の面白さに笑いを誘った。狂言の鑑賞は今回で2回目であるが、たまたま2回とも「酒」にまつわる演目であるように、いつの世も「酒」による話題が尽きないようである。

<能>高砂のあらまし――高砂の浦を通りかかったある神主が、松の木陰を掃き清める老夫婦から、高砂の浦と住吉の浦にある「相生(あいおい)の松」の由来を教えられる。夫婦がいつまでも仲良く長生きをすることのめでたさを語る二人は、自分たちは松の精であると明かし、神主を住吉へと誘って姿を消す。住吉に着いた神主の前に住吉明神が姿を現し、颯爽と舞いながら平和な世を祝福する。

「松」を主題とするこの曲は、初番目物(1日に演ずる最初の演目)のなかでももっともめでたく格が高いものとされ、老夫婦へあやかれるようにと、結婚披露宴でうたわれる祝いの曲としても、長く知られてきた。狂言と違い台詞がないが、取り分け「ヨーィ」という掛け声と大鼓や笛の演奏に引き込まれて、その音色がずっと耳に残った。また住吉明神の優雅な舞にも目を奪われ見応えがあった。

世界最古といわれる舞台芸術である「狂言」と「能」を観て、日本の伝統美と幽玄の世界に浸る、お盆入り前夜であった。

夕べ1夕べ2

(2023年9月1日 嶋田良夫記)

6.10月27日(金曜日)、みんなで“いしかわ県人祭in東京”に行こう!

8月4日(金曜日)、“第14回いしかわ県人祭in東京“ の開催に向けて準備会議が開かれた。

今年の県人祭は、昨年に比べると新型コロナウイルス感染症に対する社会の捉え方が変わったこともあり、参加人数を昨年実績の1割増の850名(昨年実績770名)と見込み、コロナ禍前の規模で開催される。

 

当日のプログラムは以下のとおりで、夜会だけでなく午後のお茶席・ミニステージの部から参加すれば、半日“石川ずくめ”で県人祭を十分楽しめる。

 

午後4時からは、裏千家奈良宗久社中のお茶席、サテライト会場でのエンタテーナーによる公演や加賀・能登各地区のいしかわ物産市が予定されている。

午後6時30分からの夜会では、御陣所太鼓の演奏や歌のステージがあり、石川産の食材を使った料理や地酒を楽しむことができる。さらにお楽しみ抽選会商品に加え石川県の多くの企業等から提供されたお土産と盛りだくさんで、至れりつくせりである。また、会場では、ふるさと会や学校・学生寮同窓会ごとのテーブルが設けられるので、久しぶりの再会があるかもしれない。

これまで参加された方はもちろん、初めての方も是非参加してみては如何でしょうか。

きっと楽しく、ご満足いただけますよ! ~詳細は事務局から追ってご案内予定~

 

<第14回いしかわ県人祭in東京の概要>

開催日:2023年10月27日(金曜日)

会 場:ホテル椿山荘東京

プログラム:

一部:関連イベント(午後4時から)

  • お茶席(参加無料 先着300名)夜会開会前のひとときを、椿山荘の庭園を眺め、お茶を飲みながら、地元森八の練りきりを楽しむことができる。
  • サテライト会場での余興
  • いしかわ物産市(野々市市からも出店)

二部:夜会(午後6時30分から)

  • オープニング太鼓演奏(予定)
  • 地元出身歌手の歌のステージ
  • お楽しみ抽選会

いしかわ県人祭

(2023年8月7日 嶋田良夫記)

5.総会を終えて思うこと

私ども東京野々市会は1990(平成2)年2月25日に設立して今年で33年になるが、今年も7月1日(土曜日)に有楽町の石川県アンテナショップ“いしかわ百万石物語江戸本店”にて第35回東京野々市会総会が開催された。

私自身は当会設立当初からの会員であるが、これまで歴代の野々市市長(市制施行までは町長)が総会に欠席されたことがなかったように思う。市長の上京に合わせ(最近では7月第一土曜日に決めているが)総会が開催され、会員のみなさんが市長と意見交換することを楽しみに馳せ参ずる。帰省の機会が少ないと思われる会員にとっては野々市の近況を生で知るよい機会でもある。恐らく、野々市に住んでいても、これほど市長と近くかつ親しい関係で忌憚なく意見交換することはないであろう。そして、野々市を離れて外から野々市を見ている東京野々市会会員からは多少なりとも貴重な意見がでるかもしれない。それが上京された市長の手土産になれば、東京野々市会としてふるさと応援団冥利に尽きる。

野々市市第二次総合計画において、まちづくりを進める上で大切にする考え方のひとつに“野々市ファンの拡大”の項目がある。まさしくその一端を担うのが当会の役割だと思うと、40名足らずの少人数の組織では心もとない気がする。会員拡大に向けてホームページの刷新やInstagramの立上げ等により鋭意情報発信に努めているが、思うような会員拡大に至っていないのが現状である。しかし、これといった奇策はなく、私どもには“市長と気楽に意見交換できる”ことを誇りに、これからも地道な活動を継続していくことが大切だと思っている。

本年11月13日に開催予定の“創立30周年記念の集い”は、多くの会員のみなさんが集い安心して楽しめる会にしたいと思っているが、この機会に会員のみなさんからお声掛けをいただき、“野々市を思い、野々市を応援しよう”とする新しい仲間が加わっていただけることを期待している。

 

(2023年7月10日 嶋田良夫記)

4.コロナ禍を生きる                          ~薄曇りの中“小石川植物園自然観察会“ 開催!~

5月13日(土曜日)、前日から雨模様の天気予報であったが、薄曇りの中“小石川植物園自然観察会”を開催した。

当日朝8時30分頃の空模様をみて、参加者へ開催の一斉メールをした。

午前11時、東京メトロ丸ノ内線茗荷谷駅に参加者4名が集合し、春日通から播磨坂を下り、歩くこと約15分で現地に到着した。今にも雨が降りそうな天気であったので、園内は我々のほか別のグループが訪れているだけで閑散としていた。

同園は「小石川植物園」の名で親しまれているが、正式には東京大学大学院理学系研究科附属植物園といい、日本最古の近代植物園で、1684(貞享元)年に徳川幕府が設けた「小石川御薬園」が前身である(2023.2「小石川植物園案内図」)。園内には温室・冷温室、分類標本園、薬園保存園があって、れっきとした研究施設である。

今年は季節の移り変わりが早くツツジ等の花が目立たなく、薄曇りの天気がかえって木々の葉の緑が一段と深く感じられた。メタセコイヤ等の大木の下を通りながら森林浴を楽しみ、植物の自然観察はさておき近況交換に夢中で、あっという間に出口に近づいていた。幸いにも散策中は雨が降らなかったが、出口に近づいたところで小雨が降り出し、園外の食事処へと急いだ。昼食後、近くのカフェに移り暫く歓談し散会した。

気が付いてみると、アウトドア活動でありながら私を含め大半がマスクを付けたままであった。コロナ禍3年間の習慣とは恐ろしいもので、日常を取り戻すには多少時間がかかると感じた。5月5日にWHOがコロナ緊急事態終了を宣言したが、ウイルスは現在も変異を続け、感染力や重症化率が高い変異株が出現する可能性は消えていない。そして、新型コロナがどのように発生したのか、その起源が不明のままである。

小石川植物園1小石川植物園2

小石川植物園3小石川植物園4

(2023年6月1日 嶋田良夫記)

 

3.コロナ禍を生きる                        ~”狂言の夕べ”を鑑賞して~

帰省の折に石川県立能楽堂での能楽鑑賞を試みていたが、日程が合わず諦めていた。そうこうしているうちに母校主催の“狂言の夕べ”が開催されるのを知り鑑賞した。狂言鑑賞は今回が初めてであったが、狂言の歴史や当日の演目の見所について野村萬斎さんの分かりやすい解説があったのでおもしろく観ることができた。

狂言は室町時代の初期から始まったとされる伝統芸能で、庶民の日常生活を題材に人間が理性を抑えきれず感情や欲心に走る姿を描く等、人間観察の喜劇といわれる。一方、能は台詞がなく、すべて音楽や謡で表現されるため、ミュージカルやオペラに該当する。

今回上演された“附子(ぶす)”と“二人袴(ふたりばかま)”は、野村萬斎さんによると狂言の“お子様ランチ”(入門編)といわれる代表的なお話であり、会場が大らかで朗らかな笑いに包まれた。

 

<附子のあらすじ>

主人が太郎冠者と次郎冠者に留守番を言いつけ、桶の中に附子という猛毒が入っているので決して近づかないように、と言い残し出かける。附子が気になって仕方がない二人は、こわごわ様子を探ると、中身の正体は実は砂糖! 二人は夢中になって全部食べてしまう。言い訳の方法を考えた二人は・・・。

――その言い訳と結末は?

留守中に寝ないよう相撲をしていたら、掛け軸と天目台を壊してしまった。死んで詫びようと桶の中の附子を食べたがついに死ねなかった、と二人で大泣き。主人は一人で食べようと思っていた砂糖を全部食べられたあげく、大切な物まで壊され、カンカンになって二人を追い回して終わる。

――その見所は?

主人は、いつもは一人で出かけることがないのにこの時とばかり一人で出かけるのは怪しい用事?と勘繰られても仕方がない。また桶の中の砂糖を附子と偽った後ろめたさもある。

 

<二人袴のあらすじ>

今日は聟入り(むこいり)(結婚後、妻の実家に初めて挨拶に行く事)の日。舅(しゅうと)の家では準備を整え、聟が来るのを心待ちにしている。一方の聟は、一人で行くのは心細いからと父親に舅の家の門前まで付き添われてやってくる。聟に礼装の長袴をはかせてやり、父は表で待っていたのだが、太郎冠者に見つけられてしまい、父親も舅に挨拶することになってしまう。しかし、長袴は一つだけ。さて、この親子はどうやってこの場を切り抜けるのか・・・。 

―― 父子はどうやってこの場を切り抜けたのか?

袴を二つに切り分けて、それぞれの片割れを前掛けのように腰に掛け何とかピンチを逃れた、と思った。しかし、舅と真っ向から対面している限りは、ばれないで済んでいたが、三人で杯をかわしたあと舞を所望されて、ついつい調子を外して体を回転させてしまい、舅に袴の後ろがないことがばれてしまう。天真爛漫な舅の方はそんなことには頓着しないが、父子は大恥をかいたと思って逃げ去っていく。

――その見所は?

いまだ親離れ・子離れしない父子が、儀礼を無事に乗り切ろうと苦心し、思いも寄らぬ状況に困惑し巻き込まれてゆく姿。頼りない子の姿は、過保護な親子のあり方が現代でも通ずるが如くその一端を覗かせる。

コロナ禍でこの3年余り笑うことがなかったが、室町時代から息づくヒューマンコメディーを観て、久しぶりに心地よく笑うことができた。

石川県立能楽堂

(2023年5月1日 嶋田良夫記)

 

2.野々市市郷土資料館が変わる!?                  ~にぎわい創出拠点施設として活用へ~

野々市市の「北国街道まちづくり基本計画」の中で、旧北国街道周辺のまちづくりの目指すべき将来像として、「カミーノ」「本町児童館」「喜多家住宅」「郷土資料館」「フォルテ」「カレード」などといった地域資源を線で結び、まちの更なる魅力向上やにぎわい創出に向けたまちづくりをしたい、という方向性が示されている。

その地域資源の一つである「郷土資料館」(本町三丁目、旧魚住家住宅)が、この4月から民間事業者への委託管理移行に伴い、今までは展示を主とする“静”の資料館から、多様に活用する“動”の資料館にコンセプトが変わる(“静”“動”は、筆者自身の記述)。

具体的には、従来の「資料展示」に加え「市民や観光客へ分かりやすい郷土紹介」、手打ちそばや「猩々」など「軽食提供」、サークル、各種団体等「地域活動の交流」、猩々、うまいがいね等「特産品の販売」、歴史展覧会、スタンプラリー等「イベントの開催」により、カミーノほか周辺拠点と連携して「人の流れの復活」を目指す拠点とするもの。

3月26日(日曜日)午前、郷土資料館にて「北国街道まちづくり基本計画」「郷土資料館の活用方針」について、野々市市による北国街道(本町通り)沿いの住民向け説明会が開催された。雨の降る寒い日であったが、資料館の座敷が一杯になるほど多くの住民のみなさんが参集し、意見交換が行われた。参加者からは何とか往時のにぎわいを取り戻したいという思いが感じられた。

郷土資料館

(2023年4月11日 嶋田良夫記)

 

1.コロナ禍を生きる                         ~特別公演“野々市のお宝ピアノ ベーゼンドルファーインペリアルをひもとく“を聴いて~

3月27日(月曜日)夜、野々市市文化会館フォルテにて “野々市のお宝ピアノ ベーゼンドルファーインペリアルをひもとく”特別公演が開催された。予てから、野々市はスタインウェイではなく、何故ベーゼンドルファーインペリアルを購入したのだろう、と思っていたが、ベーゼンドルファーの特別公演があると聞き足を運んだ。

この特別公演では、ベーゼンドルファーを愛用し、またMISIA、AI、JUJU等へ多数の楽曲を提供する、作曲家/ピアニスト/音楽プロデューサーの松本俊明さんのお話と演奏で、ベーゼンドルファーインペリアルの良さが引き出された。

松本さんによると、ベーゼンドルファーはリストやヨハンシュトラウス等の作曲家のために200年前にオーストリアで作られた。現在までの生産台数が50,000台ほどで、スタインウェイの610,000台(170年間)、YAMAHAの6,500,000台(120年間)と比べて僅かで、手作りの部分が多く希少価値が高いと言われる。また、普通のピアノは鍵盤数が88鍵のところ、ベーゼンドルファーインペリアルはバッハのオルガン曲などの編曲に対応して、普通のピアノより長6度低い音まで出るように鍵盤数が黒塗りで9鍵拡張されている。

野々市のフォルテにあるベーゼンドルファーインペリアルが、さらに“お宝ピアノ”といわれる所以は、響板(ピアノの心臓といわれる共鳴体)にレナード・バーンスタインのサインがあること。バーンスタインはウィーンのピアノ工場を見学した際、試弾して気に入ったものにサインをしたそうで、何とその中の1台がフォルテにある!

松本さんによって“月という名の雫”やMISIAの“Everything”などが演奏されたが、ベーゼンドルファーインペリアルの「深く堅い音色」が印象的であった。パンフレットには「温かく深みのある柔らかな音色」とあるが、曲や演奏方法の違い、また聴く人によって感じ方が違うのであろう。

今回の公演を聴き、野々市は何故ベーゼンドルファーを購入したのだろう、という疑問が解けた。これだけ希少価値の高いものを求めるとは、野々市もなかなかお目が高い!

“お宝ピアノ”が、飾り物ではなく、多くの演奏家や市民のみなさんによって弾かれることにより、“バーンスタインが気に入ったピアノ”から“多くの演奏家や野々市市民に親しまれるピアノ”になっているように思う。

ベーゼンドルファーインペリアル

(2023年4月10日 嶋田良夫記)

 

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