野々市と富樫氏
富樫氏の歴史
富樫氏は、藤原利仁の流れをくむ加賀斎藤氏の一族で、野々市市と金沢市を流れる高橋川中流域の富樫郷を拠点としていました。利仁から数えて7代目の家国が「富樫介」を称したことが富樫氏の始まりとされ、康平6年(1063)には野々市に館を築いたとも伝えられています。
同じ斎藤氏の一族で先に勢力を強めていた林氏の嫡流が、承久3年(1221)の「承久の乱」で朝廷方につき衰退したことから、幕府方であった富樫氏は加賀における武士団の筆頭となり、守護を歴任する北条氏一門の代官を務めました。
その後、高家は南北朝内乱期の戦功から、建武2年(1335)加賀国の守護に任じられました。高家は守護所を野々市に置き(富樫館)、政治を行ったと考えられます。
嘉吉元年(1441)、教家が将軍の怒りに触れ失脚したことを発端に富樫氏の分裂が始まり、長享2年(1488)加賀の一向宗門徒と一族の泰高の攻撃によって守護政親は敗北し、政親の居城である高尾城は落城しました。
戦国期には、泰高が加賀国の守護を引き継ぎますが、実権は一向宗門徒がもち、富樫氏の勢力は衰えていきました。
元亀元年(1570)守護晴貞は、金沢氏の伝燈寺で一向宗門徒に討たれ、富樫氏は滅亡しました。富樫館はこれ以降に廃絶していったと考えられます。
野々市デジタル資料館 - 富樫氏資料<外部リンク>にさらに詳しい資料等を掲載しています。
富樫氏の略系図
「野々市町史 通史編」2006年より

市内の富樫氏に関する名所など
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富樫家国が寛弘[かんこう]6年(1009)または康平6年(1063)野々市に築いた館の跡地と伝えられ、昭和42年(1967)6月に富樫卿奉賛会(現富樫氏頌徳会)と金沢工業大学が、館の存在を広く知らせるために、石碑を石川線野々市工大前駅の隣に建てました。 |
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建武2年(1335)一族で初めて加賀の守護となった富樫高家の館で、政務をとった守護所でもありました。 |
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住吉の宮は現在の布市神社にあたります。寛弘6年(1009)または康平6年(1063)富樫家国が野々市に館を構えた際、敷地内に社殿を造営したものと伝えられており、野々市市の史跡に指定されています。 |
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忠頼が加賀国司の勅命を受けたとされる永延元年(987)から1000年の記念として、昭和63年(1988)に富樫家国の銅像と富樫氏の歴史と伝承を顕彰した石碑が文化会館の南側に建てられました。 |
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館内に富樫氏に関する資料パネルが展示されています。 入館無料 |
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富樫高家の弟・家善の館である押野館跡の発掘調査で、みつかった遺物をはじめとして、富樫氏に関するパネルや資料、他の中世遺跡の遺物などが紹介されています。 入館無料 |
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大乗寺は、はじめ富樫家尚が押野荘に澄海を住持として現在の野々市市本町1丁目あたり建てた密教寺院であったが、家尚と澄海は永平寺から徹通義介を招き、永仁元年(1293)に加賀国最初の禅寺として開かれました。 |
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関連情報
- 野々市デジタル資料館<外部リンク>
- 鎌倉~江戸時代の野々市
- 中世の遺跡(「富樫館跡」、富樫家善が建てた「押野館跡」の説明があります)





